Rマドリードの「将軍」ジネディーヌ・ジダン監督(43)が、今度は指揮官として欧州の頂点に立った。Aマドリードとのスペイン対決は1-1のまま延長戦でも決着せず、PK戦を5-3と制した。チームは2季ぶり11度目の優勝。選手と監督の両方で欧州CL制覇は史上7人目で、就任わずか5カ月の快挙となった。Rマドリードは12月に日本で開催されるクラブW杯に出場する。

 5人目のキッカーとして勝利を決めたロナルドを力強く抱きしめると、ジダン監督はそっと自らの額をエースの顔に押し当てた。そして満面の笑みを浮かべ、ひと言かけた。「彼はいつもチームを助けてくれた。勝利をもたらせてくれたね」。死闘の末の戴冠にも、現役時代と変わらず静かに喜びを表現した。

 苦しい展開だった。前半15分にDFセルヒオラモスの得点で先制したことで、かえって慎重になった。ロナルドやベールが負傷明けとあってうまく攻撃に転じられず、後半34分に同点とされた。足をつる選手も出る中、気持ちのこもったプレーで最後まで守り抜いた。ジダン監督は「フィジカル的にはだいぶ苦しめられた。心理面ではかなりのプレッシャーに耐えなければならなかった」と安堵(あんど)感をにじませた。

 選手としても01-02年シーズンに自らの決勝点でRマドリードを優勝に導いた。選手と監督の両方で優勝したのはクライフ、グアルディオラらに並び史上7人目。また、トップチームを率いて最初のシーズンに欧州CLを制したのは8人目だ。「選手、コーチ、監督として優勝した。この偉大なクラブの一員として誇りに感じている」と語った。

 ことし1月、突然の就任だった。ベニテス前監督はホームでバルセロナに大敗するなど、期待された結果を出せず解任。選手との信頼関係が悪化し、チームはまとまりを欠いていた。取り戻すべくは「求心力」。ロナルド、ベイルら個性豊かなスター選手を1つにまとめられる人材が求められた。そこでクラブは指導手腕よりも「カリスマ性」に、チームの再建を託した。

 もちろんトップチームの指揮は初めて。それも世界トップクラブだ。そこでベニテス政権下の守備的な戦術から攻撃的なスタイルに変更。リーグ1試合平均2・61得点を、3・15得点へと上昇させた。そして「私には素晴らしいメンバーがいる」と選手を信頼し切った結果、リーグ戦で12連勝した。自信を持って臨んだ欧州のファイナルだった。

 就任わずか5カ月で欧州の頂点に立った。カリスマゆえの偉業にも、ジダン監督は「これだけの実力と才能を持った選手がいれば、大きなことを成し遂げることは可能だよ」。どこまでも謙虚だった。【波平千種、山本孔一通信員】

 ◆レアル・マドリード 1902年に創設されたスペイン屈指の強豪。国内1部リーグは32度の優勝を誇る。欧州CLは前身の欧州チャンピオンズカップを含めて最多の11度の優勝。スペイン国王杯も19度制した。本拠地はサンティアゴ・ベルナベウ競技場。チームカラーは白。現役時代にフランス代表として活躍したジダン監督が率いる。

 ◆生まれ 1972年6月23日、フランス・マルセイユ生まれ。

 <ジダン アラカルト>

 ◆アルジェリア系 1953年にアルジェリア少数民族の両親が同国北部からパリへ移住。その後マルセイユへ移り、ジダンが生まれた。5人兄弟の末っ子。

 ◆タイトル ユベントスでセリエA連覇(96-97、97-98)、Rマドリードでもスペインリーグ(02-03)制覇、欧州CL優勝(01-02)。フランス代表で98年W杯、00年欧州選手権に優勝。

 ◆叔父もプロ 叔父のジャメル・ジダンも元アルジェリア代表の選手だった。

 ◆得意技 相手選手を前に、ボールを足裏で引き寄せながらクルリと体を回転させ、前へボールを持ち出す抜き技は「マルセイユルーレット」と呼ばれた。

 ◆頭突き 06年7月のW杯ドイツ大会決勝のイタリア戦。相手DFマテラッツィから暴言を浴びせられ、怒りのあまり頭突きで応戦。退場処分となり、チームもPK戦の末に敗れた。

 ◆引退後 06年に引退した後、Rマドリードではスポーツディレクター、トップチームのアシスタントコーチ、Bチーム助監督、同監督を務め、今年1月にトップチーム監督に昇格。