鹿島アントラーズからスペイン2部テネリフェに移籍したMF柴崎岳(24)が19日(日本時間20日)に、ついに新天地スペインでデビューを果たした。この冬の移籍期間で加入し、2月1日に入団会見をしたが、体調不良を訴えて離脱。不安障害と診断されるなど、環境に対応するまで時間を費やし、デビュー時期がずれ込んでいた。

 ようやく第1歩を踏み出した柴崎に、同リーグと大西洋に浮かぶカナリア諸島を良く知る日本人、J2横浜FCの強化ダイレクター、福田健二氏(39)が20日までに日刊スポーツの取材に応じ、熱いエールを送った。

 同氏は、当初柴崎が交渉していた、隣島にあるラスパルマスでもプレーし、06-07年シーズンには同国2部ヌマンシアで39試合10得点と結果を残している。

 現役時代、日本を含む6つの国と地域でプレーしたストライカー福田氏の言葉には愛がある。約10年前。柴崎が新天地としたテネリフェ島の隣、グランカナリア島のラスパルマスに在籍していた。アフリカ大陸の西、はるかかなたに浮かぶ島での暮らしなどについて聞くと、懐かしそうに語り始めた。

 「暮らしは最高でした。1年中、気温が20~25度。ヨーロッパのハワイのようなところですから。たくさんの人がバカンスにやって来るので、他国の人を受け入れることにも慣れている。地域的にもノリのいいラテンの感じが強く、みんな明るい。(グランカナリア島は)昔、日本のマグロ漁船が入港していたので、日本人の方もいらっしゃって、食事もおいしいです」

 当然だが、サポーターのサッカーに対する目は厳しいという。福田氏は柴崎が戦うスペイン2部で3年間、3クラブで通算71試合15得点と結果を残している。1部と2部の違いはあるが、日本人がなかなか通用しないと言われて久しいスペインで、だ。その言葉には説得力がある。

 「成功するためには、環境に溶け込むことが一番だと思います。僕はチームメートと、とにかくよく食事をしました。家族ぐるみで自分の家に招いたり、相手の家に行ったりの繰り返し。食事をしてたわいもない話をして、そこからサッカーについても徹底的に詰めて話をして、お互いの理解を深めました」

 それまでに中南米でのプレー経験がありスペイン語で会話できた福田氏と、初の海外移籍となる柴崎は状況が違う。だからこそ、不安障害と診断され、デビューまでも1カ月半以上を要したのだろう。福田氏の経験は、今後の道しるべにもなるだろう。会話もそうだが、何より心を通わすことが大切だと、こんな裏話も明かしてくれた。

 「僕は試合前に必ず、仲間と抱き合ってからピッチに出るようにしていました。儀式みたいなものです。そのたび感極まって、ブワっと鳥肌が立つ。その瞬間、自分が無敵の存在になれた気がしました。どんなプレーもできる、そんな気持ちで毎試合、戦いの場に立ちました」

 柴崎は昨年12月のクラブW杯決勝のRマドリード戦で2得点と力を示した。福田氏はスペイン2部を良く知り、現在はJ2で好調の横浜FCの強化トップとして、Jリーグも含め鋭い目を光らせている。総合的に判断し、プロの目で、柴崎のプレー面はまったく問題なく通用すると言い切った。

 遠くカナリア諸島へ、苦しんで苦しんで、ようやくデビューにこぎつけた柴崎へのメッセージ。福田氏はどのチームにも溶け込み、愛し愛されたその大きな心でこう結んだ。

 「柴崎選手なら必ずできるはずです。僕で良ければ、何でもできることをしたい、そんな気持ちで見守っています」

 日本からのこんな温かいエールも、きっと日本を旅立ち、新天地でようやくスタートを切った柴崎の力になるはずだ。【八反誠】

 ◆福田健二(ふくだ・けんじ)1977年(昭52)10月21日、愛媛県生まれ。習志野高から96年に名古屋入り。当時のベンゲル監督に抜てきされ同年3月のゼロックス・スーパー杯で1得点1アシストと鮮烈デビューした。その後、東京-仙台を経て海外へ。グアラニ(パラグアイ)-パチューカ、イラプアト(メキシコ)-カステリョン、ヌマンシア、ラスパルマス(スペイン)-イオニコス(ギリシャ)でプレー。故郷の愛媛に戻り、夢想駿其(香港)で16年5月に引退。世代別代表でも活躍し97年ワールドユース(現U-20W杯)、99年シドニー五輪アジア予選に出場。昨年7月に横浜FCの強化ダイレクターに就任した。