【コルカタ(インド)17日=岡崎悠利】サッカーU-17(17歳以下)W杯の開催国に日本人スター選手がいる。元広島のMF遊佐(ゆさ)克美(29)は活躍の場をインドに移して7年。厳しい環境に身を置き、挫折を味わいながら年俸約2000万円を得るまでに成り上がった。今季はIリーグのイーストベンガルに移籍。この日、日本の決勝トーナメント1回戦イングランド戦の開催地で初練習に参加した。

 金髪の日本人助っ人は目立っていた。遊佐はイーストベンガルの練習に初めて合流した。インド選手が近寄り、次々と肩を組んできた。英語でのコミュニケーションに不自由はない。芝目の粗い練習場には笑い声が響いた。インド8年目。食料や飲料に慣れず、毎朝のように腹痛で目が覚めたのは遠い昔だ。「もうインドで何を食べても、飲んでも(体調は)平気ですよ」。うれしそうに笑った。

 10年、インドに渡った。理由は「他にオファーがなかったから」。広島ユースではDF槙野、MF柏木(ともに浦和)らの1年後輩の「調子乗り世代」だ。トップに昇格を果たしたが、活躍できず、3季で広島を追われた。北信越1部の金沢などをへて10年にトライアウトに合格し、インド1部のONGCと契約した。

 最初の給料は1カ月で約25万円とまずまず。だが、環境は厳しかった。ONGCが2部に降格した2年目には、アウェー戦への移動のため、丸2日間電車を乗り続けた。移動した先の練習場にクラブハウスはもちろん、トイレがないことも少なくない。グラウンドの片隅で用を足すのが当たり前だと知って驚いた。トイレットペーパーを忘れ、代わりに靴下でふいたこともあった。「環境とか食事とか、うまくいかないことを全部他のせいにしていた」。心がすさんだ。

 転機があった。2年目を終えて一時帰国。地元の福島の結婚式場でウエーターのアルバイトをしている時だった。制服の名札を見た出席者から声を掛けられた。「サッカー選手の遊佐さん?」。地元ではちょっとした有名人だった。とっさに「違います」とうそをついた瞬間、悔しさとみじめな気持ちがこみ上げた。「なんでこんなところにいるんだろう」。帰宅して涙を流した。

 3年目、インドに戻って意識を変えた。「インド経由ヨーロッパ行き、とか考えていたけど、ここで生きていくしかないと決意した」。環境について文句を言うのをやめた。「周りの選手に対してなんでパス出せないんだ、追いつけないんだと思うこともやめた」。心境の変化は仲間に伝わり、パスがよく届くようになった。主力として活躍し、翌年には年俸約1000万円のオファーが届いた。4年目から在籍したモフン・バガンではリーグ優勝。「行きたいと思って来たわけじゃないけど、サッカー以外の部分でもいい経験をさせてもらった」と言う。

 今季からイーストベンガルに移籍した。前日16日、本拠地のコルカタに到着し、U-17日本代表の練習に足を運んだ。広島ユース時代に指導を受けた森山監督と握手を交わすと、その存在に気付いた大勢のインドのメディアに取り囲まれた。「コルカタで、ゴリさん(森山監督の愛称)に会うなんて。縁ですね」。

 厳しい環境を生き抜く中で支えにしてきた言葉がある。「走ることにスランプはない」。ユース時代に控えに甘んじていたとき、森山監督からかけられた言葉だ。苦しい状況でも諦めなければ前に進める。そんなメッセージに聞こえた。「下手だった自分に武器を持たせてくれた。ゴリさんがいなかったらプロになっていないと思う」。将来は森山監督のような熱い指導者になることが目標だ。

 「インドではサッカーは生きるためのピッチでの戦い。そういう場所で経験をして、伝えられるような指導者になりたい」。強い思いを胸にインドでまだまだ走り続ける。

 ◆遊佐克美(ゆさ・かつみ)1988年(昭63)8月2日、福島市生まれ。広島ユースから07年にトップ昇格。10年にパラグアイ2部のサン・ロレンソからインドのONGCへ。昨季はインド北部グワハティを拠点とするスーパーリーグのノースイースト。今季はイーストベンガルに移籍。家族は福島に戻っている妻と生後1カ月の娘。168センチ、63キロ。

 ◆インドのスーパーリーグ及びIリーグの選手年俸 U-17W杯を取材しているインドメディアの記者の話を総合すると、スーパーリーグの選手の平均年俸は、インド人選手が約4万ドル(約440万円)、外国人選手が約6万ドル(約660万円)前後。Iリーグのインド人選手の年俸は約2万ドル(約220万円)程度にとどまる。インドの一般人の平均月収は200ドル(約2万2000円)~300ドル(約3万3000円)ほどという。