2022年ワールドカップ(W杯)カタール大会を控える世界のサッカーにおいては、今後中東が重要な情報発信エリアになっていきます。19年が明けてすぐ、UAEではアジア杯が開幕しました。日本代表は森保ジャパンとして初の公式戦に臨んでいます。バーレーンに97年から在住する海島健氏(53)が、日本ではなじみの薄い中東のサッカー事情をリポートします。中東での生活は23年目を迎え現地の風習、文化に接しながら、中東の風を感じてきた同氏の目に映る中東サッカーの今を、不定期でお届けします。

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今回は日本のファンにとっても気掛かりな話題をお届けします。オマーン代表は13日に第2戦で日本代表と対戦しますが、ここに来てオマーン代表に大きなアクシデントが起きています。オマーン国民の英雄として人気を集めるGKアル・ハブシ(37=アルヒラル)が代表戦を欠場し、チームの無敗記録が途絶えました。

ガルフ杯王者のオマーン代表に昨年末、激震が走りました。日本のファンにもおなじみの194センチの守護神GKアリ・アル・ハブシが、サウジアラビアリーグ第14節、アルヒラル-アルアハリ戦で負傷し、代表リストから外れました。左足の筋肉系の負傷という情報もあり、負傷の程度や回復状況は不明です。守護神を欠いたチームはアル・ハブシの誕生日と重なった12月30日にオーストラリアとのテストマッチに臨みました。

18年のオマーン代表の道のりは素晴らしいものでした。17年末から行われた湾岸8カ国で争うガルフ杯で優勝。ガルフ杯2戦目のクウェート戦(17年12月25日)以降、18年12月27日のインド戦まで、14戦で7勝7分けの無敗を誇っていました。

中でも、特筆すべきはその14試合での総失点「4」という堅守です。ただ、アジア8強レベル以上の対戦は、サウジアラビア戦(2-0勝利)、UAE戦(0-0 PK勝ち)、エクアドル戦(0-0)の3試合。そこで同国サッカー協会は、年末にアジアではトップクラスの力を持つオーストラリア戦を組んだのですが、アル・ハブシ抜きで戦った結果は、0-5の大敗となりました。

DFとGKの連係の悪さから失点する場面が多く見られました。この1試合で過去14試合の総失点「4」を上回り、ファンの怒りと失望は大きなものに膨れ上がりました。無敗記録の誇りが、まるで一瞬にして吹き飛んだかのような反応です。

オマーン紙アルシャビーバは「親善試合とはいえ重い負け」とのタイトルで報じています。「90分間戦い抜く体力のなさがみえた。集中力も足りなすぎるし、劣勢を挽回するアイデアもない」。無敗で浮かれていたオマーン国内の雰囲気が一気に暗転しました。

一方、オマーンデイリー紙のタイトルは「良いタイミングで負けた」でした。「この試合で犯したミスを修正して、また次の親善試合タイ戦に挑もうではないか。大敗ではあるが、アジア杯の本戦での結果ではないのだ」とファンに呼びかけています。

バーレーンの友人にもツイッターをのぞいてもらいましたが、多くのファンが「アルシャビーバ」が報じるように、強烈にオマーン代表とピム監督(ピム・ファーベーク=大宮、京都での監督をはじめ、韓国代表、オーストラリア代表、モロッコ代表監督などを歴任し16年よりオマーン代表監督)を批判している模様です。

オマーン代表は、アジア杯の1次リーグで日本代表とウズベキスタン代表と同組だけに、この時期のオーストラリア戦大敗は、それまでの無敗快進撃の自信を大きく打ち砕いたようです。多くのオマーンファンの意見を代表していると感じられたコメントを紹介します。

「ピム監督は2年の歳月をかけて、オマーンDFの構築をすすめてきたが、オーストラリアはその積み上げてきたものをたった90分で打ち砕いた。我々はアジアのビッグチームと対戦するには値しないチームであることを自覚しないといけない。監督やチームが悪いのではない。ただただ自分のチームの現実を見るだけでよいのだ。オーストラリア戦の負けは覚悟していたが、ここまで差があるとは…」

さらに、オマーンスポーツTVではコメンテーターが「アル・ハブシはけがをしたとはいっても、アジア杯の間ずっと欠場と決めつけなくてもいい。なんとか代表のリストに加えておくべきだ」と発言しています。さしずめ、日本代表に当てはめてみると「日本が優勝するためには中島翔哉が絶対に必要だ。けがをしていても大会期間中に治る可能性を信じて代表に入れておこう」と言っているようなものです。

オマーン代表の黄金世代が、日本代表と繰り広げてきた数々の熱戦は、いまもなお記憶に新しいのですが、今回はそれが期待できるかどうか?

中東在住の日本人として、日本代表の2戦目を待ちたいと思います。オマーン国民の熱い期待がひしひしと伝わってくるだけに、どんな戦いになるか、とても楽しみです。

 

◆海島健(うみしま・けん)1965年(昭40)生まれ。東京出身。一橋大社会学部卒。97年よりバーレーン大学で日本語教師を務めている。98年のバーレーンでのガルフ杯より同国代表チームの試合を見続け、現在は中東サッカー全般をフォロー。「アッラーの国のフットボール」をニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)において執筆、日本のサッカーファンに中東情報を届けてきた。