ロシア1部CSKAモスクワのFW西村拓真(22)が27日、帰国した。4月13日のオレンブルク戦で左頬を骨折し、フェースガードを着けていた顔も完治して笑顔で到着ロビーへ。

「初の海外挑戦ということで難しいことが多かったけど、確実に成長できたと思っています。向こうでは、やっぱり個の能力の差を感じました。チームメートは、ほとんど各国の代表。毎日、練習で悔しい思いをしています。その中でも日本にいた時と同様、しっかり自分と向き合うことができました」と振り返った。

昨年8月、ベガルタ仙台から完全移籍。9月23日のスパルタク・モスクワ戦でロシア・プレミアリーグデビューを果たすと「徐々に慣れて成長できた。試合に出るたびに新たな課題が見つかるので、実力を受け止めて、やっていくしかないと。1人の時間、1人で考える時間が日本よりも増えたので、よりサッカーに向き合うことができました」と振り返る。

10月10日のロシア杯チュメニ戦では初のフル出場、11月23日グロズヌイ戦ではリーグ戦初先発を経験。12月中旬から2月末までのロシア特有の長期冬季休暇中には練習試合で1得点2アシストするなど実力を認めさせていき、再開2戦目の今年3月9日ルビン戦で待望の初ゴール。5月5日ディナモ・モスクワ戦で2点目を決めた。

リーグ戦は12試合で2得点。前半戦4試合が、後半戦は顔面骨折による離脱を挟みながらも8試合に倍増した。欧州CLでは、レアル・マドリード戦、ローマ戦に出場。レアル・マドリードに敵地で3-0で勝つという歓喜の瞬間も、途中出場でピッチに立って迎えた。

この1年間で感じた課題が「プレーエリアを広げること。1人1人の能力が高くてエリアが日本人とは明らかに違う。ボールを保持している時のエリアを広げていきたい」。味方が退場し「10人対11人になった試合に出たことがあるんですが、そこで感じたこと。向こうは各自のエリアが広いので10人になっても、ある程度は戦える。それくらい個の能力があることを痛感させられました」という。「すべての試合が印象的」と刺激的な毎日だった。

語学については「ロシア語はほとんどしゃべれないです」と笑いながら、「英語を勉強しています。今は日本人の通訳の方がいるんですけど、来年からいなくなると思う。覚えていかないと」。普段は練習場に誰よりも早く行き、帰宅後も自主トレーニングに励む。「自炊したり、たまに和食店にも行きますけど、向こうの料理はめちゃくちゃおいしいので。苦労…ないですね」と食生活も問題なく適応してことが、好調の要因のようだ。

また、CSKAモスクワといえば、10年1月から13年12月まで4年間プレーしたMF本田圭佑が、あまりにも有名だ。「ロシアでプレーした日本人の第1号が本田圭佑さんですからね。ファンからも、たまに『ホンダ』とか声をかけられたりするし、すごいです」。その先駆者とは「面識は全くないです」とした上で「やっぱり、本田さんのように代表で活躍したり、ビッグクラブへ移籍したい思いはある。日本人ですし、代表への思いもめちゃくちゃあります。ただ、今はクラブで活躍して結果を勝ち取らないと、代表でも活躍できない。簡単に呼ばれるところではないので、しっかり自分と向き合いたい」と日の丸への思いを少しずつ積み上げている。

オフ中も「トレーニングするつもりです」と向上に余念なし。2季目のリーグ戦と、来季参戦する欧州リーグに向けて「1歩1歩、前進していくしかないですからね。楽しみです」。22年W杯カタール大会を目指す22歳は、つかの間の休息をへて、再び海を渡る。昨夏W杯の舞台ロシアで優勝6度を誇るクラブで、日々の競争を通して牙を磨く。【木下淳】

◆西村拓真(にしむら・たくま)1996(平成8)年10月22日、名古屋市生まれ。3歳でサッカーを始め、名東クラブのジュニアとジュニアユースから富山一高へ。13年度の全国高校選手権で初優勝に貢献し、15年に仙台入りした。16年4月の浦和レッズ戦でJ1初出場。同年9月のヴァンフォーレ甲府戦で初得点。17年はルヴァン杯4強に導き、クラブ史上初のニューヒーロー賞に輝いた。昨年のリーグ戦は、CSKAモスクワ移籍までの全24試合に出場し、当時日本人1位タイの11得点を挙げた。J1通算64試合14得点。178センチ、72キロ。血液型O。