ベルギー1部オイペンは26日(日本時間27日)、FW豊川雄太(25)がJ1セレッソ大阪に移籍すると発表した。

公式サイトで「ユウタ・トヨカワはオイペンを離れて日本に戻ります。欧州で2年間を過ごした後、25歳の日本人は母国でキャリアを続けたいと考えました。我々はこの希望を尊重することにし、日本の1部リーグのセレッソ大阪に移籍させることに同意しました」と報告した。

続けて「オイペンは彼の献身性、プロフェッショナルな姿勢、親しみやすさ、そして偉大な試合をしてくれたことに感謝します」。その「試合」とは18年3月11日のムスクロン戦。加入1年目の1部リーグ最終節だった。4点差をつけて勝たなければ2部降格という崖っぷちの後半12分から途中出場。わずか16分間で3得点1アシストという離れ業をやってのけ、4-0の勝利に導いて残留。「オイペンの奇跡」と現地で語り継がれるドラマの主役になった。

クラブも「あの日は忘れられません」と称賛し「スピード、努力、そして勝負強さでユウタは数週間のうちにファンのお気に入りになりました」。在籍2年間で67試合に出場して17得点の成績だったことを伝え、最後に「ユウタに多大なる感謝を。最高の未来になることを祈っています」と賛辞で送り出した。

豊川は2年ぶりのJリーグ復帰となる。プロのキャリアは13年にスタート。熊本・大津高から鹿島アントラーズに入団し、2年目の14年に開幕スタメンをつかんだ。当時19歳。クラブの高卒10代プレーヤーではDF内田篤人以来となる抜てきで注目された。

その後は負傷などもあって定位置を確保し切れず、16年にJ2ファジアーノ岡山へ期限付き移籍。2年間で公式戦20得点の成績を残した。17年の冬、日本の2部リーグからは異例の欧州1部リーグ移籍を果たし、オイペンへ。「伝説」となったムスクロン戦で、主な欧州1部リーグ戦では日本人初となる「途中出場ハットトリック」を達成した。

U-23日本代表だった16年のリオデジャネイロ五輪アジア最終予選でも、準々決勝イラン戦に途中出場して決勝ヘッド。延長戦にもつれ込んだ死闘を制し、五輪切符をつかむ立役者になった。日本代表DF植田直通(25)とは高校、鹿島、そして世代別代表でも同じチームに。植田が豊川の半年後にベルギー1部セルクル・ブルージュへ移籍したことで、海外挑戦の国までも同じだった縁が話題になっていた。

セレッソ大阪からの正式発表はまだないが、オイペン側が豊川への感謝のあまり、フライング発表してしまった形となった。