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中田英寿:ボルトン(プレミアリーグ)
1977年(昭和52年)1月22日、山梨県山梨県甲府市生まれ。MF。
甲府市・北新小3年の時に友人に誘われサッカーを始める。さまざまなポジションを経験したのちMFに。韮崎高時代の1993年に高校選手権出場。U-15、U-17、U-19、U-20といったユース代表の経歴を持ち、U-20アジア選手権準優勝の立て役者。世界ユース選手権ベスト8入りにも貢献した。韮崎高2年時には選手権出場。
Jリーグ11チームが獲得に乗り出し、95年にベルマーレ平塚(現湘南)に入団。豊富な運動量と正確なシュートで得点に絡み新人ながら8得点をあげた。
アトランタ五輪予選の日本代表入りし、中心選手として日本の28年ぶり五輪出場に貢献。96年の本大会にも出場。97年5月、韓国戦でA代表デビュー。同年W杯仏大会組み合わせ抽選会の記念試合で世界選抜代表に選ばれた。98年W杯予選で日本は苦戦したが、ジョホールバルでのイランとのプレイオフでは中田がチームの全得点をお膳立てし、日本を3-2の勝利に、そして初の本大会出場に導いた。98年W杯日本代表に選出。同年5月には、最年少でアジア年間最優秀選手に選ばれた。
98年W杯フランス大会出場後の同年7月、ペルージャに移籍。カズ(94-95年ジェノア)に続く日本人2人目のセリエAプレーヤーになった。98年9月の開幕戦ユベントス戦で、2ゴールを挙げる鮮烈デビューを果たし、チームに欠かせないプレーヤーとなった。その活躍から、日本人観光客がイタリア旅行の際ペルージャを訪れるようになった。
00年1月のシーズン途中にローマに移籍金300億リラ(約17億円)年俸40億リラ(いずれも推定)で移った。ローマではスーパースター、フランチェスコ・トッティの控えとなり出場機会は極端に減ったが、シーズン終盤の大事な場面で得点をあげ、翌00-01年セリエA優勝に貢献した。
01年7月、パルマに550億リラ(約32億円)で移籍。03年序盤は出番に恵まれなかったこともあり、04年1月からシーズン終了までボローニャへレンタル移籍した。さらにシーズン終了後、ボローニャへの完全移籍が検討されたが話がまとまらず、04年-05年からセリエAに復帰したフィオレンティーナへの移籍が決定した。移籍金は250万ユーロ(約3億3800万円)、年俸は200万ユーロ(約2億7000万円)。だが故障などで出場機会は少なく、プロ入り後、初のシーズン無得点に終わった。05年-06年にはプレミアリーグのボルトンに1年間のレンタルに出された。レンタル料は10万ポンド(約2000万円)。175センチ、72キロ、独身。(金額は推定)
中田の年度別成績 | |||||
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リーグ | シーズン | 所属 | 試合 | 得点 | A |
J | 1995 | 平塚 | 26 | 8 | 7 |
J | 1996 | 平塚 | 26 | 2 | 5 |
J | 1997 | 平塚 | 21 | 3 | 6 |
J | 1998 | 平塚 | 12 | 3 | 4 |
セリエA | 98-99 | ペルージャ | 33 | 10 | 4 |
セリエA | 99-00 | ペルージャ | 15 | 2 | 4 |
セリエA | 99-00 | ローマ | 15 | 3 | 2 |
セリエA | 00-01 | ローマ | 15 | 2 | 1 |
セリエA | 01-02 | パルマ | 24 | 1 | 0 |
セリエA | 02-03 | パルマ | 31 | 4 | 2 |
セリエA | 03-04 | パルマ、ボローニャ | 29 | 2 | 4 |
セリエA | 04-05 | フィオレンティーナ | 20 | 0 | 2 |
※Aはアシスト |
*J通算 | 85試合出場/16得点 |