[ 2014年2月6日8時6分

 紙面から ]<連載:浅田真央

 悲願女王へのラストダンス第7回>

 

 大阪城公園の梅が咲くころ、浅田真央にも開花の時が訪れていた。

 13年2月9日、大阪市中央体育館。4大陸選手権のSPに臨んだ浅田には予感があった。「このリンクは良かったな。自分がいつも練習していたのよりも、よく決まっている」。頭に浮かんでいたのはトリプルアクセルのこと。12-13年シーズン序盤は、安定感を重視してダブルアクセルで跳んできた。シーズン6戦目、ようやく“解禁”の時を迎えていた。

 そのための準備は万全だった。1月中旬にカナダへ渡った。SPの振り付けを手掛けたニコル氏に会うためで、滞在1日半の強行軍。3回転半を入れた構成にするため、1秒単位の微調整を続けた。そして帰国後、12年3月の世界選手権以来、10カ月ぶりに本格的な3回転半の練習に打ち込んだ。機は熟した。

 本番。演技を始めてから24秒後、滑らかに流れるように浮かび上がった体は、3回転半回って氷の上に舞い戻った。2年ぶりの成功に、笑顔がはじけた。「うれしくて拍手だけじゃ足りないと思って、やっちゃいました!」。演技後には思わずガッツポーズまで飛び出した。

 74・49点はバンクーバー五輪の73・78点を上回った。ともにトリプルアクセルを成功させたが、得点以上の進化を感じていた。その違いは「軽く、早く、あまり待たずに跳べている」こと。以前は1度大きく沈み込んで勢いをつけてから跳んでいた。佐藤コーチに師事して2年5カ月がたったいまは、上下動がない滑りからの「流れで跳ぶジャンプ」。跳ぶ前と、跳んだ後のスピードを変えない理想の跳躍は、「力を抜いて飛ぶことができる」新たな武器となった。

 大きな自信を手にして臨むのは、カナダ・ロンドンで行われる3月の世界選手権。そこには永遠のライバル金妍児との2年ぶりの対決が待っていた。【阿部健吾】(つづく)