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「実力日本一」を争う第55回日本選手権競輪(競輪ダービー)がいよいよ19日から24日までの連続6日間、立川競輪場で行われる。今年は75期のニュースター、伏見俊昭(福島)が有力視されている。競輪誕生から半世紀、力と力の激突でファンの血を沸かせてきたが、その中から「名勝負5番」を選んでみた。
第21回日本選手権競輪決勝戦
(昭和42年11月1日 後楽園)
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着順 |
選手名 |
(1) |
平間誠記 |
(2) |
伊藤繁 |
(3) |
神谷恵幸 |
(4) |
今井正 |
(5) |
吉川多喜夫 |
(6) |
河内剛 |
(7) |
小島浩 |
(8) |
竹野暢勇 |
(9) |
松本勝明 |
(10) |
佐々木賢一 |
(11) |
斎藤貞男 |
(12) |
田渕実 |
払戻金 |
(5)−(6) 690円
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「競輪界最強の男」として一世を風靡(ふうび)した平間誠記(宮城)の優勝は歴史に残る大一番だった。
高原永伍(神奈川)佐藤秀男(宮城)と共に花の13期生といわれ、中でも平間は何度か出場した世界戦で当時ヨーロッパの大スター、ベケット(イタリア)の動きと自転車のセッティングを盗み取り、近代競輪の基礎を築いた。
12車立てで行なわれたダービー(後楽園)は松本勝明(京都)伊藤繁(神奈川)ら一流のメンバーで大混戦が予想された。しかし、平間は河内剛(宮城)の逃げを使い初優勝。同時に10年ぶりに西日本から関東に栄冠を奪還し関東ファンを大喜びさせた。
(写真=この年高松宮杯(びわこ)に続き特別2冠に輝いた平間)
第23回日本選手権競輪決勝戦
(昭和45年2月16日 一宮)
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着順 |
選手名 |
(1) |
工藤元司郎 |
(2) |
高原永伍 |
(3) |
佐藤秀信 |
(4) |
松本広導 |
(5) |
石田雄彦 |
(6) |
中川茂一 |
(7) |
若林哲夫 |
(8) |
福島正幸 |
(9) |
松本勝明 |
払戻金 |
(3)−(2) 780円
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「勝負は水もの」とはよくいったもの。伏兵、工藤元司郎(東京)が天下の高原永伍(神奈川)をズブリと差し切って、鈴なりのスタンドをどよめかせた。
高原といえば「逃げの神様」として人気絶頂の時期。オールスターをはじめ特別タイトル獲得11回を数えた名ランナー。練習に熱中、真夜中に目をさましローラーを踏む高原。実際、予想紙の直近30レースの成績欄で【28、2、0、0】の時もあった。負ければ10万円の配当がつく、といわれ、この一宮でも大本命に推された。高原にとって優勝がないのはダービーだけ。逃げてマーク工藤にチョイ差しを食った。破顔一笑の工藤とは対象的に落ち込む高原。取り巻いた記者連も黙りこくった。
第34回日本選手権競輪決勝戦
(昭和56年3月24日 千葉)
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着順 |
選手名 |
(1) |
中野浩一 |
(2) |
恩田康司 |
(3) |
山口健治 |
(4) |
片岡克巳 |
(5) |
竹内久人 |
(6) |
菅田順和 |
(7) |
久保千代志 |
(8) |
高橋健二 |
失格 |
岩崎誠一 |
払戻金 |
(5)−(5) 2560円
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スプリント世界戦V10を遂げた中野浩一(福岡)がダービー初優勝を遂げた記念のレースである。相手は菅田順和(宮城)久保千代志(愛知)岩崎誠一(青森)らの強豪。いずれ劣らぬ機動型タイプ。展開はもつれにもつれたが最後に主導権を取ったのは菅田だった。中野は中団の好ポジションをキープ。懸命に逃げる菅田、中野はこん身のまくりで菅田を捕らえ初のダービー優勝を飾った。
35期、中野は競輪学校の卒業記念レースで松田隆文(大分)に負けた。「デビューしたらボクが日本一になる」中野は取り巻いた記者連にこう答えた。
頂点にたどりついた快進撃がここから始まる。
(写真=レース後ファンの声援に応えてウイニングランを行う中野)
第37回日本選手権競輪決勝戦
(昭和59年3月20日 千葉)
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着順 |
選手名 |
(1) |
滝沢正光 |
(2) |
井上茂徳 |
(3) |
山口健治 |
(4) |
梨野英人 |
(5) |
大橋秀人 |
(6) |
中野浩一 |
(7) |
吉井秀仁 |
(8) |
清嶋彰一 |
(9) |
菅田順和 |
払戻金 |
(2)−(6) 2020円
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吉井秀仁(千葉)山口健治(東京)滝沢正光(千葉)のフラワーラインVS中野浩一(福岡)井上茂徳(佐賀)梨野英人(香川)の東西対決といわれ、戦前は中野を有する西日本勢が有利とみられていた。しかし、いざフタを開けるととんでもない怪物が飛び出してきた。滝沢の登場である。梨野−中野−井上を菅田−山口がかぶせたが、清島がカマシ、滝沢−吉井で追走。滝沢が3角番手まくりで地元優勝を飾った。
その後、滝沢は2回タイトルを獲得。パワフルなその走法は将来を夢みる若手たちの一つの目標になっている。
(写真=仲間の選手に胴上げされる滝沢)
第52回日本選手権競輪決勝戦
(平成11年3月30日 静岡)
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着順 |
選手名 |
(1) |
神山雄一郎 |
(2) |
小嶋敬二 |
(3) |
金古将人 |
(4) |
児玉広志 |
(5) |
浜口高彰 |
(6) |
東出剛 |
(7) |
鈴木誠 |
(8) |
小川巧 |
(9) |
十文字貴信 |
払戻金 |
▽枠連(3)-(2) 5110円
▽車連(3)-(2) 5660円
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のどから手が出るほど欲しいグランドスラムのタイトル。挑戦者は神山雄一郎(栃木)。それまで何度も賞金王に輝き「王者」と呼ばれる実力者。残すダービー優勝も時間の問題といわれていた。そんな神山に強い味方が現れた。96年のアトランタ五輪の1000メートル銅メダリスト、十文字貴信(茨城)だ。栃茨ラインの十文字が打鐘から金古将人(福島)をたたいて先行。番手の神山は3角まくりの小嶋敬を引きつけ4角から一気に踏み込んで優勝。滝沢正光(千葉)に次ぐ2人目のグランドスラマーに輝いた。
(写真=表彰式で2着小嶋(左)、3着金古(右)に祝福される神山(中))
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