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企画特集



玉乃光 松本喜四志杜氏ストーリー

其之壱

迷える天才

 京の名蔵・玉乃光酒造。この酒に命を注ぐのが松本喜四志(きよし)杜氏(62)だ。4人兄弟の長男として石川・旧門前町(現・輪島市)に生まれ、16歳で醸造の世界に飛び込んでから46年。その年々の米に合う、もっとも旨い酒にこだわって、汗を流してきた。今年も07年収穫の山田錦を使った「純米吟醸 玉乃光」を世に送り出した。「端麗で、なかなかいい出来だよ」。仕事中の厳しい形相とは裏腹に、蔵から出ると、人なつっこい笑顔が印象的。製造技術部長の肩書き通り、1年を通して玉乃光酒造になくてはならない存在。そんな杜氏の素顔に触れた。

杜氏写真 「酒造りの世界に入ったのは、父親が杜氏だった影響です」。当時16歳の松本少年は外国への好奇心が強く、船乗りになりたかったと言う。しかし家庭の事情もあって、旧松任市(現白山市)の吉田酒造の門を叩くことになった。「嫌だったね。まず農業もしたくなかったから」。年間500石程度の小さな蔵だったが、南部、丹波などと並び称される能登杜氏の系譜を継ぐ蔵だった。全国の酒蔵や醸造試験場に指導者を送り込む、そんな伝統の地に根付く、上下関係が絶対の縦社会に飛び込んだ。頭(かしら)、代司(だいし)、酒母屋(もとや)の3役の下で蔵人が働く。その頂点に杜氏が君臨するヒエラルキーがあった。

 「親の七光りと言われるのが悔しくて、一生懸命仕事をしたよ」。若き日の松本氏は、追い廻しとしての仕事はもちろん、蔵人たちの食事を管理、風呂の釜を焚き、朝から晩まで休むことなく働いた。入門当時は24時間眠ることなく麹(こうじ)を見守った。「麹の表情を体で覚えた。眠気に襲われ辛かったよ」。それでも、歯を食いしばる日々に逡巡はなかった。一流への憧れからよく、杜氏になる夢を見た。

酒蔵

杜氏写真 その才能が頭角を現すまで時間はかからなかった。19歳で千葉・流山の醸造試験場に派遣され、翌年地元に戻ってから頭(かしら)に抜擢された。師匠の吉田勝治杜氏とは根本的な「酒造り」に対する考え方が違うと感じたが、造りに対する熱心な姿勢に惹かれた。進んで杜氏の近くで作業を行い、細部まで学ぼうとした。松本氏30歳のとき、吉田杜氏が引退を決めた。それは自ら身を引く師匠が松本氏を認めた瞬間でもあった。「もう松本君は大丈夫やから、ぜひ杜氏になれ」。こみ上げたのは嬉しさよりも、掛けられた言葉の重みと不安だった。ここに、巨匠・松本杜氏が第一歩を踏み出したが、今でも「迷い」と闘っていると言い切る。それは、米100%の純米酒・玉乃光の旨さと奥深さを引き出すことに懸命な、実に人間らしい杜氏の原点だった。(続く)


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