土佐涙の銅で北京切符/世界陸上

- 銅メダルを獲得した土佐は泣き顔で日の丸を掲げる。(撮影・鈴木豊)
<世界陸上:女子マラソン>◇最終日◇2日◇長居陸上競技場発着42・195キロ
日本の救世主だ。女子マラソンで土佐礼子(31=三井住友海上)が銅メダルと北京五輪切符を手にした。前半から積極的に集団を引っ張り、終盤に5番手まで順位を下げながら、驚異的な粘りで40キロすぎに3位に浮上。優勝したキャサリン・ヌデレバ(ケニア)に18秒差の2時間30分55秒で今大会日本人唯一のメダルを勝ち取った。左ひざの故障を乗り越え、「負ければ引退」の覚悟で臨んだレースで、01年大会に続く自身2つ目のメダル獲得。来夏の北京五輪代表にも内定し、マラソン人生の集大成となる最後の舞台で、アテネ五輪(5位)で果たせなかった五輪メダルの夢に挑戦する。
土佐は走りながら、泣いていた。レース終盤はいつも苦しくて泣き顔になるが、この日は本当のうれし涙が流れていた。ヌデレバ、周に続いて、3番目にゴール。不振の日本を救った初メダルは、北京五輪内定切符でもある。「とにかく最後までメダルを取ろうと、あきらめず、走りました」。日の丸を背にウイニングラン。泣いた顔がしわくちゃの笑顔に変わっていた。
驚異的な粘りで銅メダルを勝ち取った。ヌデレバがスパートした39キロ手前で、5人先頭集団からいったん遅れた。しかし、土佐はそこから本領を発揮した。前方の4人を必死に追いかけた。「落ちて来い、とのろっていた(笑い)」。40キロ手前で失速したシティエネイ(ケニア)をとらえて4位に浮上。その勢いで先頭集団に追いつくと、40キロすぎの給水で中国の朱暁琳を逆転して3位に上がり、そのままゴールを駆け抜けた。
実はこの世界選手権に、進退を懸けていた。7月に合宿先の中国・昆明から、04年に結婚した夫の村井啓一さんに「大阪でダメだったら引退を考えている」と国際電話で告げた。31歳の年齢と、真夏の過酷レースのダメージを考えれば、11月の東京国際から始まる北京五輪の選考3レースでは勝負できない。日本開催の晴れ舞台を、競技人生の節目にする決意だった。
アクシデントにも見舞われた。7月末に昆明合宿で転倒して、左ひざを強打。夜に大きく腫れ上がり、午前2時ごろ夫に「ダメかもしれない」と泣きながら電話してきた。直後に松葉づえ姿で帰国。最終調整の1カ月間は、練習メニューの変更を余儀なくされた。プールで水中歩行を3時間以上続けた。長い距離を走ったのは21日に行った25キロの1本だけ。大阪入り直前の5000メートル走でもタイムが悪くて、泣きじゃくっていたという。
心身とも追い込まれて、本番を迎えた。この日は午前2時半に夫と一緒に軽いジョギングをして、長居のスタート地点に立った。左ひざは「押すとまだ痛む」(土佐)状態だった。しかし、本番レースでは不安をみじんも見せなかった。1度もスタート時に気温は27・5度。暑さを警戒した超スローペースに、土佐は前半から積極的に先頭集団をリードした。鈴木監督は「びっくりしたよ。すごい。最後まであきらめず、よく走った」と興奮した。
アテネ五輪で5位に終わった後「アテネで果たせなかった(五輪メダルの)夢を、北京でかなえる」と夫と約束して現役続行を決めた。その北京への思いこそが、逆転銅メダルへの原動力になった。五輪内定に本人は「3位でいいのかな」と笑った。鈴木監督も「(子供も)1年間、お預けになったな」と笑った。「日本の救世主」となった今大会に続き、土佐は北京でも大仕事が待っている。【佐藤智徳】
[2007年9月3日9時8分 紙面から]
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