シカゴ・マラソン(現地7日)で2時間5分50秒の日本記録を出した大迫傑(ナイキ)が18日、都内でインタビューに応じた。20年東京オリンピック(五輪)の位置付けなどの持論や哲学を明かした。

 

-渡米後、ケガで長期的に練習できないことはあった?

大迫 ちょくちょくありますけど、そこでもやることはしっかりやっていたので体力が落ちるのを最小限にできた。

-走ることとフィジカルの割合

大迫 分からない。(時間としては)言えない。

-ウエートトレーニングはどのくらいの頻度でやっているか

大迫 週2~3回。大学1、2年の時は全く取り組んでいなかったので、向こうに行ってからしっかりやるようになった、そこは大きく違う。

-ウエートトレーニングの成果は

大迫 最初のうちは体が重くなっちゃったりとか、感覚的な部分であった。でも、時間をかけて慣れてきた。

-理想のランナー像は

大迫 特にないですね。そうなるとそこ…、今進化している選手は別にしても、そういうのを決めてしまうと、その人のたどってきた道しか、たどらなくなってしまう。自分は自分である、という意識の方が強いですよね。

-瀬古さんや円谷さんら過去のレジェンドの書籍とかに触れてみようと思ったこととか?

大迫 あんまり人のことに興味がないので。瀬古さんはメジャーズで何回も優勝してますし、尊敬もしてます。よし自分も頑張ろうというモチベーションにはなるんですけど、かといって、その人のたどってきた道。瀬古さんは瀬古さん、ラップはラップ、ファラーはファラー。同じように僕は僕。それは僕じゃなくて他の選手にも言えることだと思いますし。憧れというのが先行してしまうと、自分じゃなくなってしまう。自分というブランドがなくなってしまうと思うので、そこは逆に持たない方がいいのかなと思う。

-「走る」とは?

大迫 もちろん仕事というのもありますし、仕事とはいえ1日何時間も走れないので、基本的に好きだとは思う。いろいろ走りながら考えられたり、気付けたりは面白いですね。

-気分転換は?

大迫 暇なときは動画や映画も見るし、ブラブラもする。食事も好きだし、いろんなことをする。特にこれ、という1つのことはない。

-マラソンで世界と戦いたいと思い始めたのはいつか。

大迫 いずれは、というのはあったけど、漠然としていた。やり始めようと思ったのがボストン・マラソンの前。そのあたりから、まずは挑戦してみようという形で始めた。ボストンは初マラソンにしては良かったので、次はどこ狙おう、というふうに来た感じです。最初から狙っていたわけではなくて、常に次はどこ狙おうと1つ1つクリアしていった感じ。

-早大1年時の10年世界ジュニア男子10000メートルで周回遅れにされた

大迫 あんまり昔のこと覚えていないので…。ただ、それだけじゃなく、いろんな悔しい経験、ロンドン五輪を逃したりとかもあった。いろんな悔しい経験をして、ぱっと動く。動いたらその動いた理由を意識せず、あとはそこで淡々とこなす。そこで、また悔しい経験や何かにインスパイアされたら、それも動くエネルギーになるじゃないですか。そして動いて、またそこでやる。その繰り返し。だから、その時、何を感じたかとかは覚えてないですね。

-他に行動に移すような糧となった悔しい経験はあった?

大迫 全てがポジティブな思い出であって…。そんなにないですね。悔しさみたいな、ものは動く第1歩のためのエネルギーでしかなく、継続しない。1年、半年、いや1日あれば忘れてしまう。何か1つの気持ちを持ち続けてやってきたとかはない。

-ポジティブな思い出を見返してモチベーションにすることはあるか

大迫 終わったことより、次に待っている達成感や目標へ目がいく。今回も終わった喜びは一瞬で、その時のものはもうない。次はどうやっていこうって考えて、目標へ動く。

-直近の目標は?

大迫 まだ決まっていない。東京マラソンになるかもしれないが、まだ決まっていない。とりあえず、この数週間は体と気持ちを休める感じなので考えていない。考える必要もないし、考えちゃいけない。

-東京五輪をどう捉えているか。

大迫 モチベーションの1つというだけで、出られるかも分からないし、それこそ、その先の事はイメージしづらい。目の前の大会をしっかり走りきることを考えようという感じ。東京五輪が特別とかではない。特別じゃないというのはウソになるかもしれないけど、特別なことをして臨むほど特別な大会ではない。

-究極の目標は

大迫 決めないようにしている。どこまで行けるか分からないですし。例えば競技を終えたときに、良くも悪くも僕は納得したいと思っていて。最後の究極を決めるって言うのは、限界を作るということだと思う。そういうことはしたくない。