往路を制した青学大が10時間45分23秒で、2年ぶり5度目の総合優勝を果たした。昨年、5連覇を阻まれた東海大に3分2秒差をつけて王座を奪還するとともに、1年前の東海大の大会記録を6分46秒も更新した。

新チーム結成時は前チームと違い、最上級生の意識の低下が目立ち、原晋監督(52)が厳しい言葉をかけ続けた。生まれ変わる過程で4年生は4人も退部。甘さを捨てて厳しさを追求した結果、「最弱世代」は「かっこいい世代」になった。

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ケイゴ・コールの大合唱が東京・大手町のビル群に反響する。右手を上げた湯原慶吾が勝利のフィニッシュテープを切った。チームメートが笑顔の輪になった。2年ぶりの歓喜だ。昨年、覇権を奪われた東海大とは3分22秒先に芦ノ湖をスタートし、最後まで力強く、危なげなく逃げ切った。湯原に続き、原監督は優勝回数と同じ5回胴上げされた。「1年間苦労した。今日は飲むぞ。5合まで」。感慨に浸った。

頼もしく、誇らしかった。春先では考えられない-。優勝会見の去り際、原監督は口にした。

「カッコイイ4年生たちでした」

1年前、5連覇で退任するつもりだった。選手育成法は確立され、自身が旗を振らなくても、チームは自然に強くなっていた。自信はあった。しかし、結果は2位。「進化を止めた時点で退化」。がむしゃらさを失っていた自分を悔いた。

新チームが始動。前チームは森田主将らが頼もしかったゆえ、新最上級生は覚悟がないように映った。目指してきた自主性を重んじる指導方針を1度捨てた。鬼になった原監督、これまでとは一転し「4年生に厳しいことを言い続けた」。

強くなる過程は険しかった。3月に勉学、生活態度が乱れていた3人がやめた。「傍観者になるな」と言い続け、選手たちには意見をぶつけさせた。後輩は「学業をおろそかにするような人と一緒にやりたくない」。6月には“1軍”ではない寮で、規則で禁じられている飲酒が発覚。当事者は手本になるべき4年生だった。陸上で強くなるという決意の欠如-。指揮官は「こんな4年生にはついていきたくないよね」。厳しい言葉を並べた。鈴木主将は「一緒にやりたい気持ちもあったが、厳しくならなければ箱根を取れない」。話し合いの末、部から離れてもらう結論に至った。もちろん過去にも退部者はいたが、強豪になり、4年生が短期間に4人もやめるのは初めて。鈴木主将は「やめた4年生とは交流はない」。

厳しさを経て、勝つ集団に変わった。鈴木主将は「箱根のために365日苦楽を共にし、監督に怒られながらもめげずに付いていった。チームの中で一体感が生まれた」。配膳、ゴミ出しなど1年生の仕事も自発的に4年生が取り組むようになり、チームを引っ張る自覚が芽生えた。昨年5区を走った4年生の竹石は調子が上がらず、自らの判断でメンバー落ちを志願した。すべては勝つため-。この日は7区中村に笑顔で給水ボトルを渡した。

出雲は5位、全日本は2位に沈んだが、箱根は奪還。「やっぱり大作戦」を完遂させた。「やっぱり指数は500%」と原監督。夏前はシード権獲得さえも危ぶまれ「最弱」と言われた世代が頂点に立った。【上田悠太】

◆昨年の青学大VTR 史上3校目の5連覇を狙った青学大は、往路で8位と出遅れた。3区森田が8位でタスキを受けると、1時間1分26秒の区間新記録でトップ立ったが、4区岩見が低体温症で体が動かず1時間4分32秒で区間15位の大ブレーキ。5区竹石も区間13位と失速し、往路は5時間32分1秒の6位で1位東洋大に5分30秒差をつけられた。巻き返しを誓った復路では、6区小野田がまず区間新の快走。その後も9区吉田圭の区間賞を含め、全員が区間2位以上の強さで復路優勝となった。しかし、総合では優勝した東海大に3分41秒及ばず2位だった。

◆青学大陸上部 1918年(大7)創部。箱根駅伝初出場は43年で、最下位の11位。76年を最後に出場できない期間が続いた。04年に原晋監督が就任し、33年ぶりに復帰した09年の箱根駅伝は22位に終わったが、そこから着実に力をつけた。15年に初制覇し、16年度には大学駅伝3冠を達成した。主なOBは「3代目山の神」こと神野大地(コニカミノルタ)、10代マラソン日本最高記録保持者の下田裕太ら。活動拠点は神奈川県相模原市。