来年1月2、3日の第97回東京箱根間往復大学駅伝の区間エントリーが29日、発表された。2年連続6度目の優勝を目指す青学大は、5区に竹石尚人(4年)が配置された。前回大会は故障によりメンバーを自ら外れ、留年して、箱根に再挑戦する道を選んだ。ひときわ強い思いを持つ“5年生”が、勝負を大きく左右する山登りに挑む。

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これが正真正銘の最後になる。2度目の4年生。1年前はメンバー16人から漏れていた竹石は5区に名を連ねた。「多くの人に支えられてばかりの人生。最後は感謝を伝えることができる走りを見せ、恩返しをしたい」と意気込んだ。

苦難だった。1年前。もともと大手生命保険会社への一般就職が決まっていたが、実業団を目指し、内定を断った。アピールをしないといけないのに、秋に左ふくらはぎを故障。2、3年と5区を走った箱根に、万全の準備ができなくなった。原監督は復活の可能性を信じ、メンバーに入れるか悩んでいたが「枠を削り、自分が入らない方がいい」と辞退した。そして、決断した。「もう1年やろう」。留年を選んだ。箱根では一緒に入学した4年生の鈴木塁人(現SGホールディングス)、中村友哉(現大阪ガス)に精一杯の気持ちを込め、給水ボトルを渡した。

強い決意を胸に“5年生”となったが、負の連鎖は続いた。故障は春まで長引き、治ったと思えば、コロナ禍が直撃。試合は軒並み中止となり、実業団に実力を示すどころか、そのチャンスすら消えた。調子も上がらず、「2軍の寮生活」続き。「マイナスの存在になっているのではないか」と思うようになり、「後悔」の念も生まれた。

転機となったのは夏合宿。1軍、2軍含めた全体で、共同生活をする中で「馴染めたかな」。呼ばれ方は「竹石さん」だが、「1人の4年生として受け入れられた」と感じられた。迷いがなくなると、調子も上がり始めた。11月の全日本大学駅伝は走れなかったが、再挑戦の箱根には間に合った。原監督は「チームに貢献しないといけないなど考える必要はない。せっかく1年残ったのだから、いい5年間だったと言えるよう楽しく走って欲しい」と全幅の信頼を寄せる。

竹石は今、言い切る。

「すごく充実した時間を過ごせた。遠回りしているとは思いますが、後悔はない。今は間違えていなかったと思う。素直に残ってよかった」。

実業団入りは諦め、来春からは静岡朝日テレビに就職する。だが、選んだ道は正しかったと思える。その最後の花道は笑顔で飾る。【上田悠太】

◆今大会の新様式 補欠との入れ替えが、従来の4人から6人まで認められるようになった。往路、復路各日の変更可能な人数は4人。より「戦術」を隠せるようにもなった。当日変更で入る実力者が、どの区間を走るかが、勝負のカギにもなる。コロナ禍の影響で、開閉会式、表彰式は取りやめられる。胴上げ、円陣、中継所でタスキを受け渡す際の声かけも禁止。給水ポイントで、給水員はマスク、ゴーグル、手袋などを着用する。沿道での応援も自粛が求められている。

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