数々の苦悩を乗り越えた。自己記録10秒00の山県亮太(28=セイコー)がついに挑み続けてきた「10秒の壁」を突破した。決勝で追い風2・0メートルの条件下、日本新となる9秒95で優勝した。桐生祥秀(25)、サニブラウン・ハキーム(22)、小池祐貴(25)に続き、日本人では史上4人目の9秒台スプリンターになった。

まさに「10秒の壁」と戦っていた。17年全日本実業団対抗選手権、18年のジャカルタ・アジア大会と2度の10秒00。18年の全日本実業団対抗選手権も無風なのに、10秒01を出していた。続く福井国体は絶好調だったのに、台風のよる超向かい風が、快挙を阻んだ。9秒台は時間の問題と思われていた。ただ、ここから長い、暗いトンネルに入った。

届かない0秒01を追い求める中で、さらなる筋力強化に活路を見いだした。ただ、それが試練の始まりだった。2年前の春。腰に違和感を覚えた。パワーを求めるあまり、体のバランスが少しずつ崩れていた。また不運は続き、同6月の日本選手権は肺気胸で欠場、さらに11月には右足首の靱帯(じんたい)を断裂した。「考えれば、考えるほどネガティブになってしまう自分がいた」。意図的に人に会ったり、無理やり用事を作ったりして、折れそうになる心を保った。

まだ負の連鎖は続いた。昨年の夏にも右膝痛が出ていた。同秋の日本選手権も欠場を余儀なくされた。練習できないストレスもたまる。日本スプリント界に取り残されていた。光の見えない中で、必死に自分に向き合った。

ただ、昔から競技人生は故障と、それを乗り越えた先の成長の繰り返し。試練こそ、飛躍のカギが隠れるとも身をもって知る。隠された進化の余地を見つけ、それを突き詰めた。今回もそう。必要以上のパワーを追求した代償で、失われていた柔軟性を取り戻し、新しい姿を模索した。力と滑らかさも兼ね、渇望していた領域へ、ついに突入した。

かつて「何をもって強くなって帰ってきたかというのは、僕は自己ベストでしかないと思っている」と語っていた。その言葉通り、強くなった。故障前の自分では超えられなかった記録を出して、帰ってきた。伸び悩んだ鬱憤(うっぷん)は、これから一気に晴らしていく。

▽山県のコメント 記録を出したいと思っていたのでひとまず良かったです。9秒台を突破したかったので、肩の荷が下りました。いつも近くにチームメートがいる。しんどいときに支えになってくれた。(24日開幕の)日本選手権(大阪)では、3位以内に入って五輪切符を勝ち取りたい。勝負はオリンピック。そこで勝負したい。

◆山県亮太(やまがた・りょうた)1992年(平4)6月10日、広島市生まれ。修道中、高から慶大を経て、15年にセイコー入社。16年リオデジャネイロ五輪では、男子100メートルで2大会連続で準決勝に進出し、男子400メートルリレーは第1走者で銀メダルに貢献。18年ジャカルタ・アジア大会決勝では10秒00を出し、銅メダル。趣味は釣り。177センチ。