<名古屋ウィメンズマラソン>◇11日◇ナゴヤドーム発着(42・195キロ)

 6位に終わった04年アテネ五輪金メダリストの野口みずき(33=シスメックス)が、レース後に現役続行を宣言した。4年4カ月ぶりとなるフルマラソンは、中盤から左膝の違和感で後退。23キロ地点では先頭と30秒差ついたが、6キロ後に1度は追い付く驚異的な粘りを見せた。2時間25分33秒の6位に終わり、3大会連続の五輪代表選出(北京五輪は欠場)は事実上なくなったが、復活の手応えに、感謝と充実の涙を流した。

 涙のフィニッシュだった。野口の顔がゆがんだ。4年4カ月ぶりのゴールが、かすむ。ナゴヤドームに入ると、苦悩の日々が頭をよぎった。熱いものが頬を伝う。「ホントは走り切れるか不安で…充実感とありがとうです」。何度も諦めかけた42・195キロ。再び駆け抜けると、しばらくは声にならなかった。

 序盤は「給水で接触しないように」とペースメーカーの前に出た。しかし10キロで口が開くと、17キロから後退。昨年11月のオランダでの15キロレースと同じく「左膝が抜ける感じ」になった。23キロ地点で先頭と30秒差、約150メートルも遅れた。「諦めない、諦めない、って思いながら走っていたら足が動くようになった」。

 28・9キロ。ついにとらえたが、先頭集団8人が仕掛け始めた。五輪切符獲得へのサバイバル突入。「力を使い果たしちゃって勝負できなかった」。33キロの上り坂で力尽きた。復活Vこそならなかったが「こんな私の走りでも、3・11の日に諦めない姿を少しでも見てもらえれば」。会見場でも再び声を震わせた。

 北京五輪前から続いた故障との闘い。09年には股関節と左膝をつなぐ半腱(けん)様筋の腱の一部が剥がれていた。原因は150センチの体に不似合いなストライド走法。それでも「フォームを変えても私の走りじゃない」と、時には2時間も同じ動きをするリハビリをこなした。ひたすら左脚の筋力を地道に強化した。

 野口

 ずうずうしいかもしれないですけど、諦めないで進んでいけばもっとやれるんじゃないかと思う。引退レースではないです。満足したら終わってしまう。故障せずにちゃんとやっていけば、自己ベストも狙えると思う。

 名古屋は10年前の初マラソンで2時間25分35秒だった。「次のステージに上がるため、またここからスタートですね」。北京五輪を制したのは38歳のトメスク(ルーマニア)。38歳で迎える16年リオデジャネイロ五輪に「挑戦したい気持ちはある」と笑った。【近間康隆】