<第91回箱根駅伝>◇3日◇復路◇箱根-東京(5区間109・6キロ)

 早大は11時間2分15秒の総合5位で、今季限りで退任する渡辺康幸監督(41)の有終の美を飾ることはできなかった。「箱根のスター」は低迷期の04年に監督に就任。故中村清、瀬古利彦と過去の監督の指導法に自らの経験をプラスし、チームの底上げを図った。10年度には出雲、全日本、箱根と3冠を達成。その後も常に優勝候補のチームを作った。今回で選手と監督で15回出場した箱根には一区切りをつけ、今後は世界で戦うランナーを育成する。

 恩返しの思いが伝わる。早大の総合成績は5位。断トツの優勝候補の駒大にアクシデントが起きた往路では6位とチャンスをいかせなかったが、復路は3位と選手の意地を感じた。渡辺監督は「8割方の選手は力を出してくれたので良かった」と「最後の箱根」を振り返った。

 スターと呼ばれた選手時代とは対照的に、指導者としてはもがき苦しんだ。史上最低16位で2年連続シード権落ちした直後の04年4月に就任。同年はもちろん、05、06年と最初の2年間はシード権が取れず、予選会に回った。指導の実績はない。試行錯誤の日々が続いた。

 自分のようなエースを育成するため、厳しい練習を課したが、ケガ人が続出した。「エースはいらない」をテーマに、だれもが高いレベルで走れる層の厚い駅伝を追求。10年度には箱根を含めた3冠を達成した。一番の思い出には3冠よりも3度の予選会の経験を挙げて「箱根は原点。一生忘れない」と続けた。

 近年は上位常連校だったが、現在の環境すべてに満足はしていなかった。「他の大学とは違って(スポーツ)推薦が多く取れない。付属校との一体強化も不足している」と指摘。さまざまな状況を考え、昨年夏には「自分の中では一区切り」と辞任を決意した。今月下旬にはあらためて退任会見を開く。

 今回の箱根メンバー10人中8人が3年生以下。レース後の早大の報告会では「自分のメソッドをたたき込んだスタッフは残る。良い環境をつくってください」と学長、OB、保護者らの前で涙ぐんだ。今後についても具体的なことは言わなかったが「箱根駅伝から世界に行く人をお手伝いしたい」と、世界を目指す教え子を指導していくことになりそうだ。なお後任監督には、渡辺監督を支えてきた相楽豊長距離コーチの就任が有力視されている。

 指導者として箱根をわかした男の退任。早大の一時代が終わったことは間違いない。【田口潤】

 ◆渡辺康幸(わたなべ・やすゆき)1973年(昭48)6月8日、千葉市生まれ。中学で陸上を始め、市船橋高を経て早大進学。箱根のエースとして活躍し、3度の区間賞と1度の区間新をマーク。95年ユニバーシアード1万メートルで金メダルに輝いた。96年エスビー入社後はケガが多く、02年に引退。04年4月に早大競走部の監督に就任。10年度は出雲、全日本、箱根駅伝と3冠を獲得した。