<大阪国際女子マラソン>◇25日◇大阪・ヤンマースタジアム長居発着

 12年ロンドン五輪代表の重友梨佐(27=天満屋)が、復活の足がかりをつかんだ。前半から積極的に飛ばし、後半は粘りに粘って2時間26分39秒でゴール。自己記録には3分以上及ばなかったが、日本人トップの3位に入った。79位に沈んだ五輪後の長いスランプを脱して、世界選手権(8月、北京)選考レースで存在をアピール。タチアナ・ガメラ(31=ウクライナ)が大会3連覇を果たした。

 30キロ手前で顔がゆがみ、口が開いた。苦行のような残り50分の道のり。重友は耐えた。「去年、走れなかった時のことが頭をよぎった。でもそれを振り払うためのレース。粘ろう」。トップのガメラとの差が開いても「また前の人が見えてくるかも」と前向きな気持ちで足を動かして、後半に失速する悪癖を抑え込んだ。「破れなかった殻を少し破れたという手応えを感じる」と少しだけ笑った。

 「何がだめなのか、どうしたらいいのか」。1年前の同じ大阪国際、15キロ付近で失速した。練習の感触は、日本歴代9位の自己記録2時間23分23秒を超えるものだったが、体が動かない。途中棄権やむなしの状態も、完璧主義の性格がわざわいしてリタイアしない。五輪代表が2時間58分45秒の64位。「マラソンが怖い」とトラウマとなった。

 「何かを変えなきゃ」。昨年8月、チームを離れた。元主将で3歳年上の泉有花マネジャーと2人きりの北海道・千歳合宿。自転車で往復60キロの道のりを走り、温泉に入った。2週間ほぼ走らなかった。「がんこで曲げない性格。それで苦しんでいた。一番は楽しく走ってほしかった」と泉マネジャー。“女子2人旅”で、重友の心はほぐれた。合宿後は、股関節と太ももを動かすよう走法を変えた。山道を3時間走った。ルーティンと責任感でがんじがらめだった日常が変わった。

 タイムは平凡だったが、日本人トップの3位。日本陸連の尾県専務理事は「手放しでは喜べないが、復活のきっかけがつかめた。日本の大黒柱になるタレント」と評した。重友も「もっといろんなことがやれそうな気持ちがある」。ロンドン切符を獲得した快走から3年。長いトンネルの先にあったゴール直後、泉マネジャーにこう伝えた。「きつかったけど、楽しかったです」。【益田一弘】

 ◆重友梨佐(しげとも・りさ)1987年(昭62)8月29日、岡山・備前市生まれ。小学3年から陸上を始め、興譲館3年の05年高校駅伝で主将として初優勝。06年、天満屋入社。自己ベストは2時間23分23秒。168センチ、52キロ。

 ◆代表選考

 今大会は8月の世界選手権北京大会の代表選考を兼ねる。同大会の代表枠は3人。昨年8月の北海道マラソン優勝者(野尻あずさ)と横浜国際、大阪国際、3月の名古屋ウィメンズの日本人上位3人が選考対象。また日本陸連が設定した2時間22分30秒を突破すれば優先的に選出される。暑さへの適応力があると判断されれば、前述の3大会の順位に関係なく、ナショナルチームから選出される可能性もある。世界選手権で8位以内に入った日本人最上位が16年リオデジャネイロ五輪代表に決まる。