95年の阪神・淡路大震災から今日17日で23年を迎える。フィギュアスケート女子で平昌五輪(ピョンチャン・オリンピック)代表の坂本花織(17=シスメックス)は甚大な被害を受けた神戸市内に住み、誕生前に起きた震災の大きさを身近に感じながら成長してきた。被災した中野園子コーチ(65)とともに、神戸への思いを胸に、初めての五輪の舞台に立つ。

 阪神・淡路大震災から1909日後、00年4月9日に坂本は生まれた。明るく元気な17歳だが、誕生日の約5年3カ月前に起きた大震災の話題になるや、表情が曇っていった。

 「お母さんが16日の夜中に高速道路を通っていて、次の日にそれが倒れたんです。『数時間前に通っていたとは思えない』という話を聞いて、恐ろしかった。(仮にそうなっていれば自分が)存在していないですよね…」

 95年1月17日、午前5時46分。観測史上初の震度7を記録した大地震は、多くの人の命を奪い、坂本の母も直前に走った阪神高速神戸線の倒壊など、甚大な被害をもたらした。坂本が学んだ神戸市中央区のなぎさ小と渚中は98年4月、震災からの復興を象徴する新都心「HAT神戸」に建てられた。

 毎年1月17日には必ず、震災について学ぶ授業があった。被災者を励ましてきた「しあわせ運べるように」を歌い「経験していなくても、たくさん情報を得る機会があった」と振り返る。小学校の校外学習では、震災の経験と教訓を後世に伝える「人と防災未来センター」を訪問した。震災直後の街並みを再現したフロアを前に「初めて入ったときに不安でしかなくて。『本当にそんなに怖いことがあったんだな』と思って…」と足をすくめた。今の景色と重ね合わせて、当時の苦しみを想像した。

 ずっと練習拠点にしてきた「神戸市立ポートアイランドスポーツセンター」内のリンクも地盤沈下で亀裂が生じ、震災後は一時閉鎖。指導にあたる中野コーチは「(東灘区の)御影まで自転車で行って、全壊した家の教え子に『生きてるか~?』とさけびました」と回想する。被災後はレンタルしたワゴン車のハンドルを自ら握り、県西部の姫路市のリンクへ教え子と向かったこともあったという。

 坂本もそういった歴史から目を背けることはない。

 「神戸市民である限りはちょっとでも(神戸の)力になれるようにしないといけない。オリンピックでいい成績を残したい」

 昨年12月の全日本選手権で2位に入り、シニア1年目ながらつかんだ五輪切符。シーズン前にはテレビ番組の「五輪有力選手」に名前がなく「いつか自分も仲間入りできたらいいな…」とうらやましく見つめた。右肩上がりの成長曲線を描き、たどり着いた大舞台。神戸への思いも力に、憧れの場所で輝く。【松本航】

 ◆坂本花織(さかもと・かおり)2000年(平12)4月9日、神戸市生まれ。NHK連続テレビ小説「てるてる家族」をきっかけに4歳でスケートを始める。17年4大陸女王の三原舞依とは小学校低学年から一緒に練習。16年全日本ジュニア選手権で初優勝し、17年世界ジュニア選手権3位。今季はGPスケートアメリカと全日本選手権で2位。趣味は水泳と折り紙。血液型B。158センチ。