“Never Forget”

 2011年3月11日は、今でも忘れない。

 東日本大震災から約6年半。日本オリンピック委員会(JOC)主催で行われている「オリンピックデー・フェスタ」に参加してきた。震災後の2011年10月10日から取り組みが行われている。2016年3月の時点では、青森、岩手、宮城、福島、茨城の5県107会場で実施され、一般参加者は1万8288人。参加した選手も563人となった。2017年も全15会場で行われている。「被災地に向けて何か出来ないか」というアスリートたちからの意見の集約が元々の開催の根源にある。

被災地を訪れた筆者(右から2人目)
被災地を訪れた筆者(右から2人目)

 私自身、さまざまな被災地を訪問させてもらっているが、今もなお人々の心には、あの時の記憶が鮮明に残っていることが会話の中でも感じることができる。

 訪問したのは、福島県いわき市と岩手県久慈市。今回は、昨年に台風10号の被害を受けた岩手県久慈市の話にフォーカスしたい。久慈市スポーツ推進委員協議会事務局長、久慈市体育協会の常務理事を務める久保繁明さんに話を聞いた。

 「やっと復興してきました」

 そんな言葉を聞きながら、久慈市と隣接する野田村も訪問した。見渡すと、防波堤の工事が行われている。今は、穏やかで海がキラキラして日本の美しさを感じる。

 東日本大震災による津波は、防波堤を壊し、海辺の高台に立つ活気のあった食堂や住居、すべてをさらっていった。引き波の被害が大きかった。野田村に関しては、約500棟、久慈市では約300棟の住居が流された。現在は、当時の2倍の高さで防波堤が建設中だ。また、住居が流された区域を危険区域とし、防災公園として遊具が置かれ、整備されている。

 陸前高田市の海岸沿いにある松の木が有名だが、ここ野田村にあった松の木は1本も残らなかった。被災後しばらくは、山に茂る木が塩水によって腐った。現在、青々と草木が茂っている景色を見ると、ここに暮らす人々の努力を思い浮かべる。交流の場にしていたパークゴルフ場は、危険区域ではない新たな場所に作られる予定だ。また、野田村の十府ケ浦海岸では毎年行われる砂祭りが人々の楽しみとなっていたが、今なお再開はされていない。

 昨年受けた台風10号の被害もすごかった。2メートル30センチの浸水。2000棟が床上浸水をした。

 「市民を逃がしていたら自分が逃げ遅れて、体育館にやっとこさ逃げたらそこはもう浸水していた。朝まで、水履きをしたよ」

 久保さんは淡々と話すが、体力よりも精神力がやられると話した。がれきを処分するところもなかなかなかった。隣町にお願いして、置かしてもらったという。

 復興という観点では、三陸鉄道も再始動の予定だ。大船渡市まで、繋がる大事な交通手段。人々の仕事はどうだっただろうか。被災を受けて仕事をなくしてしまう人が出ないように、新たな事業にも取り組んでいる。

 「山ブドウがあるなら、ワインでも作ろう」

 この一言で、ワイン作りが始まった。久保さんが飲み友達だったワインソムリエの資格を持っている友人を誘った。今はネット販売でも完売だという。

 「山ブドウだと思って酸味があると思うでしょ? それがおいしいんだよ。今の時期はロゼがおいしいよ」

 さらにホタテの養殖も行っている。「他のホタテより、実が大きくて絶品」防災公園の入り口には、ホタテの形をした建物が建設されている。

岩手・野田村の青々とした風景
岩手・野田村の青々とした風景

 苦悩と希望が混在-。

 そんな中、私たちアスリートができることは、オリンピックデー・フェスタのスローガンでもある「スポーツから生まれる、笑顔がある」のように、スポーツを通して、みんなでコミュニケーションをとり、一体感を生むことであるといくたびに再認識する。今回の運動会も子どもも大人も参加し、一生懸命やり汗を流した。私たちに市民のみなさんは「ありがとう」と何度もいってくれた。

 本当は私たちが、感謝を伝えたい。アスリートとして、1人の日本人として、みんなで何かを達成すること。見えない力こそが、すべてのインスピレーションを生み出す。これから先、1人1人が、何が出来るかを考えることがスタートだ。今回の久保さんのような人に会うと、また被災地を訪問し、いろんな話を聞きたいと思う。

 誰かが必ず、何かと何かの架け橋になっている。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)