「ルノー(当時の小型車)がダンプに衝突するようなもの」。60年(昭35)8月に日本王者・高山一夫の世界フェザー級王座挑戦が決まると、新聞はこんな例えで揶揄(やゆ)した。フェザー級はリミット57・15キロの中量級。フライ級(同50・8キロ)より上のクラスでは非力な日本人は世界に太刀打ちできない。それが当時の“定説”だった。

 高山は判定負けしたものの、初回に王者ムーアをダウン寸前に追い込むなど大善戦した。その後、中量級でも日本人世界王者が幾人も誕生した。それでも日本人の意識にこびりついた劣等感はぬぐい切れなかった。欧米人の平均的な体格で最も選手層が厚い、平均身長180センチ、リミット72キロのミドル級の壁が、あまりにも高かったからだ。

 村田の勝利はその壁に風穴をあけ、日本人の長きに及ぶ劣等感を吹き飛ばした。95年に竹原慎二がミドル王座を攻略した時は、日本初の快挙だけで満たされた。だが、歴戦の王者を力で圧倒した村田の拳には、その先への期待が膨らむ。もっとも日本人離れした強打と馬力だけでミドル級の頂点には立てない。彼にはもう一つ重要な強みがある。

 エンダムとの第1戦。不可解な判定に彼は怒りも、嘆きもせず、「僕自身がどう受け止めたかではない。第三者の判断がすべてですから」と淡々と感想をのべた。自らの人生を左右する局面でさえ、彼は第三者の視点に切り替えて冷静に考えることができる。これはボクサーにとってすごい資質だと驚いた。

 ボクシングで最も難しいのが心の制御である。緻密な戦略を立てても、競技特性上、リングの中ではどうしても本能や本性が顔を出す。セコンドの指示が頭にあるのは30秒ともいわれる。しかし、村田は相手と拳を交えながらも、常に自然体で、戦況を俯瞰(ふかん)してみることができる。この日も殴り合いを作戦通りに遂行した。本田会長も「想定通りの試合だった」と明かした。対戦相手にとって、これほど恐ろしい相手はいない。

 この資質はリングの中だけで磨かれるものではない。村田は日ごろから哲学書や心理学書を読みあさっていると聞く。人の心のあり方、生き方について日々、頭の中で汗をかいて自問自答する。その習慣と積み重ねが、自然と村田のメンタルを鍛錬し、心のスケールを押し広げたのではないだろうか。

 来年から億単位のファイトマネーが動く米国に進出するという。ただ村田なら日本を世界のマーケットの中心にすることもできる。日本人五輪メダリスト初のプロの世界王者というだけではなく、彼にはスポーツ市場まで動かすダンプのようなスケール感がある。これがゴールではない。この勝利が壮大な夢へのスタートになる。【首藤正徳】