「運動ができる子供は勉強もできる」。スポーツ科学の第一人者で教育学博士でもある日本女子体育大の深代千之学長に聞いた言葉である。「運動も勉強も記憶の仕組みは同じ。脳の中の神経を何度も電気信号が走ることで道筋ができる。運動は筋肉ではなく脳で覚えるものなのです」。だから運動ができる人は勉強もできるはずだという分析だった。

昨年のラグビーワールドカップ(W杯)で日本代表の一員として活躍した福岡堅樹が、7人制での東京五輪出場を見送り、医師を目指して医学部入学の勉強を優先させる決断をした。このニュースを聞いて、数年前に取材した深代先生の話を真っ先に思い出した。日本では「頭がいいから勉強を、運動神経がいいからスポーツを」と分けて考える風潮が強い。そんな誤解を福岡の挑戦が解いてくれるかもしれない。

ガンバ大阪などに所属した元Jリーガーで、引退後に弁護士になった八十祐治さんは「スポーツしかできない」という社会の目が発奮材料になったという。「会社では電球を替えてとかゴミを片づけてなど雑用ばかり。サッカーしかやっていなかったから、大した仕事はできないでしょうと言われて悔しくて。見返してやろう、サッカー選手の価値を見せてやろうと思った」。だからあえて最難関の司法試験に挑戦した。

プロ野球元阪神の投手だった奥村武博さんは、引退後に9年かけて公認会計士の試験に合格した。その過程で生きたのがスポーツ経験だったと語る。「選手は失敗したら原因を考え、修正して再挑戦する。それを繰り返して成長する。勉強も同じ。練習や試合で、社会で生かせるいろんな能力が育っていた。その共通点に気づいてから成績が飛躍的に伸びた。根性や体力だけでなく、スポーツ選手は問題解決能力や状況判断能力もすごく高い」。

欧米では医師に転身したトップアスリートは珍しくない。80年レークプラシッド冬季五輪のスピードスケートで男子全5種目を制したエリック・ハイデン(米国)は、今や米国でも著名な脊椎専門の整形外科医である。五輪4大会で8個の金メダルを獲得した競泳女子のジェニー・トンプソン(米国)は、コロンビア大の医学部に通いながら競技を続け、引退後に麻酔医になった。彼ら、彼女らにとってスポーツは長い人生の一里塚にすぎなかった。

日本では「自分はスポーツしかできない」という選手側の思い込みも強いように思う。スポーツの世界で実績を残すことが人生の最大の目標で、次への発想も乏しい。この4月、柔道女子78キロ超級の元世界王者、朝比奈沙羅が独協医科大医学部に入学して、福岡よりも一足早く医師への道を歩み始めた。スポーツができる人は勉強だってできる。2人の挑戦は日本にそんな新しいスポーツ選手像をつくる、大きな可能性を秘めている。【首藤正徳】

司法試験を突破し釜本邦茂氏から祝福を受ける八十祐治さん(2005年11月14日撮影)
司法試験を突破し釜本邦茂氏から祝福を受ける八十祐治さん(2005年11月14日撮影)