車いすテニスの車いすには、ブレーキが付いていない。タイヤの操作はすべて手で行うため、やけどして手のひらの皮がむけることも珍しくない。車いすは1度止まると再び動かすまでに時間と労力を要するので、ボールを打ち返した直後からずっと動き続ける。相手の返球を予測して移動するためには、まず自身のショットを正確な場所にコントロールする必要がある。

21年9月、東京パラの車いすテニス男子シングルスで金メダルを獲得し絶叫する国枝
21年9月、東京パラの車いすテニス男子シングルスで金メダルを獲得し絶叫する国枝

こんなハードで難しい競技で、国枝慎吾さんは約20年も世界トップ戦線で活躍を続けてきた。初めて世界1位にランクされたのは06年10月。引退を発表した23年1月22日時点の世界ランクも1位。パラリンピック3大会でシングルス金メダル。大リーグのイチローさんや大谷翔平、ボクシングの井上尚弥らと並ぶ、日本が胸を張って世界に誇れるアスリートである。

世界1位を争ったライバルのステファン・ウデ(フランス)は、国枝さんに勝つために自転車のタイヤメーカーや機械力学の学者とチームをつくり、機動性を高めたカーボン製のマシンを完成させた。その値段は実に1500万円。それでもアルミ製素材の約40万円の車いすを操る宿敵には分が悪かった。国枝さんのテニスの技術、チェアワークは別格だった。

小4に上がる直前の春休みに、脊髄に腫瘍が見つかった。以来、車いすでの生活。幸運だったのは小6の時に母と訪れた近所の「吉田記念テニス研修センター」に、健常者と同じように車いす利用者の研修プログラムが存在していたこと。彼の原点は障がいがあっても子どものころからスポーツを楽しめる環境にあった。

18年8月、日刊スポーツが企画したタレント香取慎吾との「慎吾対談」での国枝さんの発言は今も記憶に残る。「観客にパラスポーツを同情という見方ではなく、純粋にスポーツとして楽しんでほしい。そんなレベルに日本のスポーツ文化を引き上げたい。そのために大事なのは、度肝を抜くようなパフォーマンスを見せること」。圧倒的な強さの源が、この言葉に凝縮されていた。

現在開催中の全豪オープンの車いす男子シングルスで、小田凱人が初の決勝進出を決めた。16歳の“度肝を抜くショット”に目を見張りながら、09年にプロ宣言した国枝さんの決意表明を思い出した。「車いすテニスでもプロとして自立できる。自分が成功モデルになって子どもたちに可能性を示したい」。パラアスリートの地位と競技力の向上への先駆者の熱意が、次世代にしっかりと受け継がれているのだと思った。【首藤正徳】

東京2020パラリンピック 車いすテニス男子シングルス決勝 国枝慎吾対トム・エフベリンク 優勝を決めた国枝慎吾は日の丸を掲げて喜びを表す(2021年9月4日)
東京2020パラリンピック 車いすテニス男子シングルス決勝 国枝慎吾対トム・エフベリンク 優勝を決めた国枝慎吾は日の丸を掲げて喜びを表す(2021年9月4日)
楽天ジャパンオープン バックハンドショットを放つ国枝慎吾(2022年10月6日)
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