ビートたけしが、東京五輪に食いついた! W杯ブラジル大会の余韻が残る中で、日刊スポーツ新聞社は20年東京五輪に向けて本格的なカウントダウンをスタートさせる。6年間に渡って東京五輪のすべてを味わい尽くそうという趣旨なのだがその第1弾としてビートたけしが登場する。


五輪開催地が東京に決まり、抱き合って喜ぶ佐藤真海(2013年9月7日=撮影・菅敏) 
五輪開催地が東京に決まり、抱き合って喜ぶ佐藤真海(2013年9月7日=撮影・菅敏) 

 インタビューに際し、用意したのが64年東京五輪の写真。開会式の入場行進やブルーインパルスが描いた五輪の輪、女子バレーボール東洋の魔女の熱戦に円谷幸吉が力走した男子マラソン-。たけしは、机の上の写真を1枚ずつ手に取って確認するように眺めた。そして、都立高校生だった50年前の思い出を語った。

 半世紀前、まだ何もなかった東京で開かれる大きな「お祭り」に、人々が心を躍らせていたことは間違いない。もちろん、誰もがハッピーだったわけではないだろう。東京五輪開催という大義の前に、犠牲もあったはず。それも含めて「50年前にあったこと」を掘り起こすのは意味がある。それを知った上で、2020年を目指す必要がある。


五輪開催地が東京に決まった瞬間、泣きじゃくりながら喜ぶ田中理恵と滝川クリステル(2013年9月7日=撮影・菅敏) 
五輪開催地が東京に決まった瞬間、泣きじゃくりながら喜ぶ田中理恵と滝川クリステル(2013年9月7日=撮影・菅敏) 

 「日本人は五輪が好きだからねえ」。記者になって30年、繰り返し何度も聞いた。4年に1回、普段はあまりスポーツに関心がない人でも、テレビの前で見慣れない競技に見入る。日本選手を応援する。五輪だからだ。オリンピックによって、日本人のスポーツ熱が高まるのは事実なのだ。

 64年大会の東京開催が決まった59年のIOC総会で紹介されたのが、当時小学校6年生の国語の教科書に載っていた大島鎌吉(けんきち)の「五輪の旗」という作品だった。「オリンピック、オリンピック。そう聞いただけでも、わたしたちの心はおどります」という書き出し。五輪は、東京で開催されるよりも前から日本の子どもたちの心にあったのだと思う。

 6年先は遠いようにも感じるが、すぐに来る。2年後のリオデジャネイロ五輪は待っていても開催されるが、東京五輪は迎える準備をしなければならない。大会関係者はもちろん、多くの人が何らかの関わりをもつはず。96年に2002年のW杯日韓大会が決まった時「6年先までは遠いな」と思っていたけれど、すぐにやってきた。待つ大会と迎える大会は違う。

 2年後のリオが終われば次はいよいよ東京五輪。19年のラグビーW杯でも使われるメーン会場の新国立競技場の建設のため、すでに以前の国立競技場は取り壊しの準備を進めている。開催計画の見直しなど、準備の状況がニュースになることも多い。動きは、今後さらに激しくなるだろう。単にスポーツイベントとしてだけでなく、多くは我々の生活にも関わってくる。迎える立場なのだから、傍観者ではいられない。

 五輪好きの日本人が、どういう大会を迎えるか。あと6年、それを考えるのは日本人1人1人だ。【荻島弘一】