20年東京五輪に暗雲-。思わずそう嘆きたくなるような試合だった。タイで行われているサッカーのU-16アジア選手権、日本は準々決勝で韓国に0-2と完敗。FW李承佑に2ゴールを奪われ、力の差を見せつけられた。試合前「日本には軽く勝てる」と言い放った李は、バルセロナのユースチームで得点を量産するストライカー。日本の4選手を振り切って決めた2点目後の「ドヤ顔」は、うなだれるDF陣と対照的に自信に満ちあふれていた。

 これで、来年チリで行われるU-17W杯出場も逃した。過去4大会連続出場を続けていたが、今回はベスト8止まりで、アジアの4枠に入れなかった。まだ16歳以下の大会ということもあって、日本ではそれほど大きなニュースにならなかったが、6年後の東京五輪を考えると敗退は深刻。視察から帰国した日本協会の原博実専務理事は「この世代の強化を図りたい」と話していた。

 五輪男子サッカーに「23歳以下」の出場制限がついたのは92年バルセロナ大会から。かつては「プロのW杯、アマチュアの五輪」だったが、五輪がプロ選手の出場を容認し、この図式が崩れた。国際サッカー連盟(FIFA)が、W杯との競合を避けるために年齢制限を採用。国際オリンピック委員会(IOC)は反発したが、五輪で最大の「観客動員力」を誇る競技だけに受け入れざるをえなかった。以来、U-20W杯、U-17W杯は、五輪を目指すチームの「前哨戦」として大きな意味を果たすことになる。

 日本が初めてU-17W杯に出場したのは93年の日本開催だった。開催国枠で出場し、ベスト8に進出。このメンバーが翌年のアジア選手権を突破し、95年のU-20W杯に出場する。79年に開催国として初出場して以来、初めて予選を通過しての出場だった。

 2つの世代別W杯出場が日本の「経験」となり、96年アトランタ五輪出場を果たす。銅メダルに輝いた68年メキシコ大会以来、実に28年ぶりの五輪出場。この大会の1次リーグでブラジルから歴史的勝利をあげた日本は、その2年後にW杯初出場。U-17、U-20で踏んだステップが、着実に上の世代につながった。

 95年のU-17W杯に初めてアジア予選を突破して出場した選手たちは、99年にナイジェリアで行われたU-20W杯で準優勝。00年シドニー五輪8強を経て、02年W杯で初の決勝トーナメント進出を果たす。これもU-17が上の世代につながった好例だ。

 もちろん、多くの選手は入れ替わるし、世代別代表を経験していないA代表選手もいる。しかし、世界大会の経験は同じ世代にも伝わる。今回のU-17W杯予選敗退で、東京五輪世代は「U-17の経験なし」で五輪本番を迎えなければならない。

 16年リオデジャネイロ五輪世代となるU-21日本代表は今、韓国・仁川で行われているアジア大会に出場中。この1つ下の世代は来月、ミャンマーでのU-19アジア選手権で来年のU-20W杯(ニュージーランド)出場を目指す。

 20年東京五輪の主力となる選手たちのU-20W杯は17年に韓国で行われる。その予選を兼ねるU-19アジア選手権は16年。ここで世界に出られないようだと、東京五輪はますます厳しくなる。