もともと、五輪は男子の大会だった。古代五輪は基本的に女子禁制。男子による競技のみが行われた。近代五輪でも1896年の第1回アテネ大会は8競技43種目のすべてが男子、1900年の第2回パリ大会では女子の参加も認められたが、テニスとゴルフの2競技だけだった。

 その後も女子競技の採用には、高いハードルがあった。当時の考え方で「女子がやることが容認できる」「大会の権威を汚さない」競技のみが実施された。競泳は12年の第5回ストックホルム大会から、陸上にいたっては28年の第9回アムステルダム大会まで待たなければならなかった。

 日本の女子選手が初めて参加したのも、その第9回大会。人見絹枝が初めて実施された陸上競技に出た。男子選手42人に対し、女子としてただ1人出場した人見は、800メートルで銀メダルを獲得した。36年ベルリン大会では、競技平泳ぎの前畑秀子が日本女子初の金メダリストになった。

 もっとも、日本の女子選手はその後、なかなか活躍できなかった。競技そのものが少なかったこともあって、女子選手数は日本選手団全体の1~2割。前畑に続く金メダル獲得も、64年東京大会の女子バレーボール「東洋の魔女」まで待たなければならなかった。

 52年ヘルシンキ大会に出場した競泳の斉藤(旧姓田村)美佐子さんは「女子はおまけ。試合よりも、その後各国を訪問するときの格好がつかないから行ったようなもの」と笑った。水泳ニッポンも体操ニッポンも男子のもの。その陰に隠れて、女子は辛い思いもしてきた。もちろん、そこには社会的な背景もあった。

 最近の五輪では女子選手の活躍が目立つ。12年ロンドン大会からボクシングの女子種目が採用され、男子だけの競技はなくなった。新体操やシンクロナイズドスイミングのように女子のみの種目まである。日本選手団の選手数も04年アテネ大会以降は、男女がほぼ同数。金メダルの数なら、最近3大会は女子が上だ。

 過去の五輪夏季大会に出場した女子選手は、延べで1233人。その女子選手たちが集まる「女子会」が10月にあった。もともと、30年前に東京五輪の女子代表選手たちが「東京オリンピック・レディース(TOL)」として集まったのが始まり。それが「トータル・オリンピック・レディース」と名前を変えて今も続いている。

 現役引退後も競技の世界に残る選手が多い男子に比べて、女子は結婚、出産などで競技から完全に離れてしまう選手が多い。中には「オリンピアンの子どもはプレッシャーがあってかわいそう」と、元五輪代表であることも明かさない人もいるという。

 そんな「元選手」が親睦を深め、社会貢献していこうというのが「TOL」の活動。年1回フォーラムを開催したり、スポーツ教室を開いたり、女子ならではの発想と行動力で、いろいろなことにチャレンジしている。決して無理をすることなく、自由に、自然に。独立しているから、活動に制約がないのも自由度を増している。そんな、いい意味の「ゆるさ」が、この会の魅力かもしれない。

 村山(旧姓西側)よしみ会長は「多くの人に参加してもらって、より会を充実させたい」と話す。競技の枠を飛び越え、世代の垣根を越えたTOL。集まった元選手たちの「女子会」は笑顔があふれていた。