武士道精神は現代にも-。箱根駅伝の元「山の神」で、今夏の陸上世界選手権(8月、北京)男子マラソン代表に選ばれた今井正人(31=トヨタ自動車九州)の故郷、福島県南相馬市を訪ねた。来夏のリオデジャネイロ五輪出場も狙う今井が生まれ育った故郷は、今も馬が町中を歩くサムライの町? 国指定重要無形民俗文化財でもある、相馬野馬追(そうまのまおい)で有名な南相馬市を探訪した。

15年、東京マラソン日本人選手トップの7位でゴールする今井正人
15年、東京マラソン日本人選手トップの7位でゴールする今井正人

 早朝の市内に馬の蹄音(ていおん)が響く。原町区にある相馬野馬追祭場地。毎年7月末に開催される全国的にも有名な野馬追の中でも、メーン行事の甲冑(かっちゅう)競馬、神旗争奪戦が開催される場所だ。ここでは年1度の大祭へ向け、毎朝3時から5時ごろにかけて参加者らが自分の馬を連れ練習に励んでいる。トレーニングを終え、馬に乗って祭場地裏の一軒家に戻る途中だった只野和章さん(40)に声をかけさせてもらうと快くお話をしていただけた。

 只野さん 庭に馬がいるって特徴的すぎますよね(笑い)。でもこの辺りでは当たり前の光景ですよ。野馬追のために自分で馬を飼っている家は結構あります。南相馬ではおやじから子どもへ、さらにその子どもへと、馬の世話の仕方や野馬追のことは代々受け継がれています。

相馬野馬追祭場地正面右に建つ石像
相馬野馬追祭場地正面右に建つ石像
相馬野馬追祭場地正面左にある馬の銅像
相馬野馬追祭場地正面左にある馬の銅像

 愛情を持って手入れをし、家族同然に馬と暮らす。馬と人の文化を感じる。いつ出陣するか分からぬ戦のため、武術訓練を欠かさずに備えていた相馬藩の侍たち。4年に1度の五輪を目指す今井にも重なる部分がある気がした。まじめで練習熱心という現代のランナーも、常にベストを尽くすため日々のトレーニングに精を出している。

 只野さん 今は祭りという形で武士道が残っていて、時代が変わっても侍の魂がずっと続いているんです。

 馬を洗う只野さんと話し込んでいると、お隣の標葉郷騎馬会副軍師・脇坂博さん(65)が顔を出して教えてくれた。

 脇坂さん 野馬追は祭りだけど、戦ですよ。戦ですから真剣勝負。いつどうなるかも知れぬ本気の戦いだから、馬上で歯を見せることもいけない。手綱を持った時は勝負だからね。甲冑など道具も全て自分でそろえて戦の準備をしておく。そういう準備も、侍は重要なんですよ。

常磐道南相馬鹿島SA「セデッテ」内にある相馬野馬追のモニュメント
常磐道南相馬鹿島SA「セデッテ」内にある相馬野馬追のモニュメント

 今では海外進出も果たす相馬野馬追。ブラジル、ハワイ、ロシア、イギリスなど海を越えて公演も行う。日本の武士道は海外でも称賛を受ける精神だ。南相馬で生まれ育った今井にも、侍魂は通っているとみる。

 この地域では、小学校の運動会の花形は騎馬戦ではなく「神旗争奪戦」だそうだ。野馬追本祭りの目玉行事をまねて甲冑は段ボール、御神旗は紙で模し、人で馬を作って争奪戦を繰り広げる。今井を小学5年時に担任した小元栄一教諭(58)が、目を細めながら教えてくれた。

 小元教諭 正人も運動会で神旗争奪戦はやりました。その影響かは分かりませんがサムライ気質は感じていました。誰より正義感や責任感のある子どもだった。今でも野馬追そのもの、ラストスパートをかける時なんかの正人の走りは、馬のお尻みたいだなと思うこともあるくらい(笑い)。

05年、箱根駅伝5区区間賞
05年、箱根駅伝5区区間賞
06年、箱根駅伝5区区間賞
06年、箱根駅伝5区区間賞
07年、箱根駅伝5区区間賞
07年、箱根駅伝5区区間賞

 小元教諭は今井を陸上の道に導くきっかけを作った人だ。当時の今井は野球少年だったが、地元でマラソンクラブを立ち上げていたこともあり、野球の試合がない日に陸上のロードレース大会に誘い続けていた。

 小元教諭 今井家は男4兄弟で全員、野球をやっていた。甲子園に行くという夢があることは知っていましたから、強引にというのは気が引けましたが正人に陸上をやって欲しくて。運動万能で礼儀正しく、絶対に何事からも逃げない強さを持っていたので絶対に強くなると。当時は毎日のように昼休みに一緒にランニングをしていました。野球でも主将で捕手だったから立派なお尻になったと思うし、本人も『野球の副産物はたくさんある』と言います。あのころからさらに力をつけ、マラソンで結果を出してくれてうれしいし、ずっとみんなで応援しています。

鹿島区にある仮設小学校には3校が合同で授業を行っている
鹿島区にある仮設小学校には3校が合同で授業を行っている

 11年の東日本大震災では、今井の実家がある小高区も甚大な被害を受けた。新たな道、時代を切り開くべく故郷も、今井も戦っている。馬も人も走り続ける理由があるんだな、と強く感じた。【成田光季】

 ◆相馬野馬追 相馬氏の祖といわれている平将門が下総国(千葉県北西部)に野馬を放ち、敵兵に見立てて軍事訓練を行ったのが始まりと伝えられる。現在では毎年7月末の土、日、月の3日間(今年は25、26、27日)にわたり、甲冑に身を固めた500余騎の騎馬武者が腰に太刀、背に旗指物をつけ疾走し、戦国絵巻を繰り広げる。初日(宵祭り)は出陣式と総大将お迎え、2日目(本祭り)はお行列、(1)甲冑競馬、(2)神旗争奪戦があり、最終日は(3)野馬懸が行われる。国指定重要無形民俗文化財。

 (1)甲冑競馬 騎乗武者が背中に旗を指し、1周1000メートルのコースを10頭立てで走る競馬。

 (2)神旗争奪戦 花火で打ち上げられ、ひらひらと落ちてくる30センチほどの長さの御神旗を、300騎以上の騎馬武者たちが奪い合う。

 (3)野馬懸 白鉢巻き、白装束の若者たちが馬の群れに飛び込み、馬を素手で捕らえる。最初に捕らえた馬を神馬(しんめ)として奉納する。

福島県南相馬市
福島県南相馬市

 ◆南相馬市 2006年(平18)に旧小高町、旧鹿島町、旧原町市の1市2町が合併して誕生。福島・浜通りの北部で太平洋に面し、面積は398・58平方キロメートル。人口は6万3212人(今年5月1日現在)。