「死ぬわけじゃないので」。取材エリアで聞いた言葉が耳に残った。

 陸上日本選手権最終日の25日、ヤンマースタジアム長居。「最速女王」福島千里(28=札幌陸協)は、前日24日の100メートルに続いて200メートルでも優勝を逃した。福島が無冠で大会を終えるのは、07年以来10年ぶりだ。「足のけいれんで走れない時期が続いた。トップスピードも最大パワーもかなり少ない。だからこうなっている。今までの中で1番苦しいシーズンの始まりだった。でも修整はいくらでもきくし、死ぬわけじゃないので」と口にした。

 今季はレース中のけいれんで失速するケースがあった。全力で練習できない日々にストレスもたまっただろう。第1日の23日、女子100メートル予選は棄権する選手が多く出て、レースは準決勝から行われることになった。福島は、その際に「ラッキーです。予選突破です」と笑顔を見せた。「最速女王」とってに予選は調整レースのようなもの。「突破」という言葉に違和感があった。思えば、けいれんの不安と戦っていたのだろう。同種目で優勝を逃した際は「『おめでとうございます』というインタビューしか受けてこなくて。(2位での取材は)久々なんで…」と戸惑った。

 本来の走りはできなかった3日間を「とても長い日本選手権でした」と振り返った。ただ明るい兆しもあった。2種目を走ってけいれんの症状はなし。「練習も含めてここ数週間で1度もけいれんがなかった。すごく怖いし、不安だった。日本選手権で起こらなかったのは私の中で大きい」。

 200メートル決勝ではコーナーの抜けでトップに立ったが、後半に失速して5位。タイムは昨年大会で樹立した日本記録22秒88に及ばない24秒01だった。

 「コーナーの抜けはトップだったが」と聞かれて、福島は毅然(きぜん)として答えた。「このレベルで抜けがいいといっても。私が戦いたいレベルのレースでは、いいも悪いもない。よかったとかそういうレベルではないです」。苦境でも「世界と戦う」という志は忘れていない。

 「落ちぶれたというか、かなりマイナスかもしれないですが、けいれんを乗り越えたことは私の中では大きな経験。(万全で)しっかり走れた時の記憶は残っている。状態が整えば、いくらでもチャンスはある。やりたいことができるんだ、まだまだここから走れるんだ、と思える」。

 08年北京五輪の女子100メートルで日本女子56年ぶりの出場を果たし、3大会連続で五輪に出場してきた。

 「ここで終わりじゃない」

 福島の目に涙はなく、次を見据えた意思がこもっていた。【益田一弘】

 ◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の41歳。大学時代はボクシング部。陸上担当として初めて見た男子100メートルが13年4月、織田記念国際の10秒01。昨年リオ五輪は男子400メートルリレー銀メダルなどを取材。