「うわ。やばい…」

 フィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ、ロシア杯から一夜明けた22日、取材に応じた羽生結弦(22=ANA)が、ある発言をした瞬間の、私の心の声である。

 羽生はこの大会で自身初挑戦となる4回転ルッツを含む4回転5本のフリープログラムに挑んだ。ある発言は、そのジャンプの組み合わせが最大限なのか、との問いに対する答えとして出てきた。

 「いつ辞めるかは、全然決めていない。将来的には(クワッド)アクセルをやりたいなと思っています。なので、MAXではない。まだまだ自分の中で、限界とは思えていないです」。


■急速に進む4回転時代

 クワッドアクセルとは、まだ誰も試合の中で成功したことのない4回転半ジャンプのこと。これを将来的に試合でやる。さらに確認すると「さすがに平昌の前にはやらない」。それは、平昌五輪後も現役続行する意志があることの表明だった。

 発言だけでなく、時間もやばかった。羽生が話し終えた時、現地モスクワは昼12時半で、日本は午後6時半。日本では、ちょうど台風が近づき、新聞発行の締め切り時間が大幅に繰り上がっていた。

 取材を終えると、記者のほとんどが駆けるようにプレスルームに戻り、カタカタカタカタ…とものすごい勢いでパソコンを打ち始める。私も高揚感の中で、いつもより速いスピードで原稿を書き終えた。

 では、羽生にとってのMAXとは、いつかクワッドアクセルを決めたときなのか。この日、笑みを浮かべながらこうも話した。「いつもやっていて思うのは、100%はないと思っている。ずっとずっと100%を目指していくと、どうせその100%がまた遠いところにいくだけなので」。

 より強く、美しく。いつ完成するかめどの立たない名建築「サグラダ・ファミリア」のように、本人さえも終わりがどこにあるか、まだ分からないようだった。

 羽生や、宇野昌磨、米国のネーサン・チェン、中国の金博洋らがここ数年で4回転ジャンプの種類、数を増やしたことで、男子シングルのジャンプの進化は急速に進んだ。羽生が今回新たに4回転ルッツを決めたことで、またこの流れは勢いを増すだろう。


■伝説のスケーターの言葉

 「トゥー、マッチ」

私の頭には、65年前に五輪連覇を果たした伝説のフィギュアスケーター、ディック・バトン氏(88)の言葉が残る。

 6月にバトン氏にインタビューし、いまの4回転時代についてどう思うかを尋ねると、「過剰だ」と返ってきた。美しいペルシャじゅうたんやシャンデリア、19世紀のアンティーク家具、美しい調度品で整えられたリビングルームで、バトン氏は「私は古典的なものが好きなんだ」と話す。

 現役引退後、長年フィギュアスケートの解説者をつとめたバトン氏が、引きつけられるスケーターとしてあげたのは男子の76年五輪金のジョン・カリー、女子84、88年五輪金のカタリナ・ビット、アイスダンス84年五輪金のトービル・ディーン組ら、旧採点ルールにおいて、芸術的で、均整がとれた演技で評価された選手らだった。

 「今のルールで選手は大変だ。点数にしばられ、演技をする方も見ている方も息ができない」。決して今の選手を批判するのではなく、「みんな能力はあるにもかかわらず、現在のルールではクリエーティブ演技をするのは難しい」となかば同情のようなニュアンスで話していた。

 また、我々担当記者に対しても「ジャンプを跳んだ、跳ばないと書くことは簡単。それより難しいのは、いかに美しい表現かと書き記すことだ」とも述べた。フィギュアを愛し、ずっと見続けてきたからこそ言える意見だと、重く受け止めた。


■スポーツの面白さ再認識

 だが、今回再確認した。私はバトン氏とは少し違う立場だ。ハラハラして、息ができないぐらいの演技。それこそが楽しい、と思う。

 羽生のロシア杯でのフリーを、客席から見た。試合で初めて挑戦した冒頭の4回転ルッツ。左足にぐっと力を込めた羽生が跳び上がり、回る。体勢を崩しそうになりながら必死の表情で降りる。その間、1秒弱。そのわずかな間に、激しい緊張、やがて興奮が見ている私にも訪れた。限界を超えようとするパフォーマンスをすることで初めて生まれる動き、記録。これこそが、スポーツの面白さだとあらためて感じた。

 「スケートって芸術性も大事だし、そういうところに特化したいという気持ちももちろんあるんですけど、それじゃ試合じゃないだろうというのが僕の気持ち」と羽生は言う。

 彼の向上心、欲望は限界を知らない。そして、それを包み隠さず言葉にするから、さらに面白い。4回転を数多く跳ぶことがいいのか、悪いのか。その評価は後世の人に任せ、アスリートとしての羽生結弦をまだ見続けられることを、今は喜びたい。【高場泉穂】


 ◆高場泉穂(たかば・みずほ)1983年(昭58)6月8日、福島県生まれ。東京芸術大を卒業後、08年入社。整理部、東北総局を経て、15年11月から五輪競技を担当。