「ちょっと待ってください! 俺ら、手つないでるように見えてません?」

 「俺やって、それは嫌やわ!」

 2018年3月15日。大阪・枚方市内にある病院でカメラを向けると、2人のラガーマンが照れくさそうに写真に納まった。車いすに乗っているのが今季、京都産業大で主将を務めたフッカーの中川将弥(4年=御所実)。隣では同志社大で同じように主将を担ったNO8野中翔平(4年=東海大仰星)が、中川の手に触れるか触れないかぐらいの距離感で、色鮮やかな千羽鶴を持ち上げていた。

千羽鶴を手に笑顔を見せる京都産業大の中川将弥(左)と同志社大の野中翔平
千羽鶴を手に笑顔を見せる京都産業大の中川将弥(左)と同志社大の野中翔平

■まさかのアクシデント

 2017年11月25日、京都・西京極陸上球技場。すでに全国大学選手権出場を決めていた京産大は、関西リーグ最終節で近畿大と戦った。中川はそこで、不測の事態に巻き込まれた。

 「将弥、動くな!」

 「そのままじっとしておけ!」

 周囲に諭されるがままに、じっと空を見上げるしかなかった。後半24分。味方からボールを受けると、相手の低いタックルを察知して、頭を下げながら体をぶつけた。次の瞬間、死角からは2人目のタックラー。体は予想しなかった動きとなり、天然芝に首が打ち付けられると、不思議な感覚が走っていた。

 中川 一瞬、記憶が飛んで…。気付いたら「動くな」って言われていて、あんまり覚えていないんです。

 痛みもさほど感じなかった。ただただあおむけのまま救急車に導かれ、京都市内の病院に運ばれた。検査を受け「頸椎(けいつい)損傷」が判明すると、医師に「胸から下が動かなくなるかもしれない」と告げられ、事の重大さを知った。

 その数日後に野中はふと、いつもSNSをこまめに更新する中川の投稿がないことに気付いた。無料通信アプリ「ライン」で「大丈夫か?」とメッセージを入れる。「やばいわ」という返事で胸騒ぎがした。

 出会いは7年半前。当時東海大仰星中3年の野中は大阪府選抜の一員として、御所中3年で奈良県選抜の中川と10年夏の関西大会決勝を戦った。同点優勝でのノーサイドを皮切りに、交流はスタート。高校進学後も練習試合や合宿で顔を合わせる間柄だった。大学は同大と京産大。同じ京都で、ライバル関係にある両校の戦いは毎年、異様な盛り上がりを見せる。関西学生代表などを除けば、その多くを敵として切磋琢磨(せっさたくま)してきた。

 野中は奈良県内の病院に転院していた中川の元を、12月に入って訪ねた。両まぶたの上には固定具が装着され、天井しか見ることができない友の顔をのぞき込み、話しかけて思った。

 野中 冗談じゃなく「今すぐ死んでしまうんじゃないか」って…。初めて会ったときは、それぐらいに思いました。

 12月4日、7時間にわたる中川の手術が行われた。左足は徐々に動くようになる一方、右足は依然固まったままだった。手も握ることさえできない。そんな状況下で、同23日には全国大学選手権準々決勝の京産大-明治大戦を病室から2人で観戦。21-27で惜敗し、京産大のシーズンが幕を下ろした。

 中川 あの時の心境は…嫌でしたね。出たかったんでね。でも、みんなが頼もしかった。1本目のスクラムで明治を押したときは、泣けてきたんです。

 野中 こういう時にスクラムの話をするのが(強力FWが自慢の)京産やわ(笑い)。 

 そんな12月に、野中は中川の父へある打診をしていた。その時点ではケガの現状が多くの人に知られておらず「将弥が落ち着いたら、千羽鶴を折りたい」と将来的な話として持ちかけていた。

ボールを持って突進する京都産業大の中川将弥(2017年9月21日)
ボールを持って突進する京都産業大の中川将弥(2017年9月21日)

■退院日に向けリハビリ

 迎えた2018年。中川の2度目の転院先となった枚方市内の病院へ、多い時は週3回も通いながら考えた。「もし、自分が入院していたら、全チームからもらえたらうれしいよなあ…」。2月に入ると、今季の関西大学Aリーグ(1部)を戦った同大以外の7校に打診した。いずれも主将(京産大は東海大仰星時代のチームメートだったFB河野翼)に「将弥のために、千羽鶴を折りたい」と伝えた。

 その思いを全大学が快諾した。同大と京産大はそれぞれ200羽。天理大、立命館大、関西学院大、関西大、近大、摂南大は100羽。各大学のチームカラーで折られた1000羽は、しっかりと野中の元に届いた。

 そうして3月4日、ボタンと糸で束ねた千羽鶴を中川がいる病院へ持ち込んだ。1階での談笑中にさりげなく「将弥、今日はプレゼント持ってきたわ」と声をかけた。「いらんわ。どうせ、しょうもないもんやろ」と返していた中川が病室に戻ると、普段は明るい父親が涙を浮かべていた。すぐに、色鮮やかな千羽鶴が視界に飛び込んできた。

 中川 それを見た瞬間に「治らんわけない」って思いました。あんなん一生ない。絡みがなかった(他大学の)人たちもいる。それでも関西のみんなが動いてくれて、本当にうれしかったし、ありがたかったです。

 企画者は各大学の仲間への感謝とともに、率直な感想を言葉にした。

 野中 「将弥、すげえな」って思いました。こんなにアホやのに…(笑い)。人柄ですよね。

 何物にも代えがたいエールを受け取った中川は、6月10日に設定された退院日に向けてリハビリに励んでいる。医師と誓い合った目標は「そこまでに最低、つえを持ってでも歩けるようにしよう」。手の作業が1時間、全身での作業が2時間。1日3時間のリハビリメニューは地道だが、日々少しずつ見える成長に胸が躍る。週に1度は必ず見舞いに来る京産大の大西健監督(68)からは「はよ、スクラム組まななあ」と肩をたたかれ、その言葉にもパワーをもらう。

 中川 入院をしてみて「ラグビーをやっていたから、人との関わりがあったんだ」と気付きました。毎日のように、誰かがお見舞いに来てくれる。だからラグビーに感謝して、最低でもプレーヤーに戻りたいんです。

 「最低でも」と表現したところに、中川の強い決意はにじんでいた。近鉄でラグビーを続ける野中ら、千羽鶴を折った面々の多くが新しい世界に飛び込む春。ラグビーの見えない力はきっと、それぞれの道で苦境を救ってくれる。【松本航】


 ◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。兵庫・武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技を担当し、ラグビーやフィギュアスケートなどを中心に取材。