「やっぱり4年スパンで自然と考えるので。次、どうせやるなら、4年後の五輪を目指してしまうので」

 14年2月19日。フィギュアスケート男子高橋大輔が、ソチ五輪(オリンピック)フリーを終えた5日後だった。エキシビションの練習が終わるのをサブリングの外で待ち伏せした。「集大成」と公言した3度目五輪は右膝痛で6位。周囲はこのまま引退のムードだったが、13年7月の「やり残しがなければやめるし、やり残しがあれば続けるかも」という発言が気にかかっていた。だからストレートに聞いた。

 「現役続行、あるでしょう。来季(14-15年)休養して右膝を完治させて、16年3月の世界選手権で最後にノーミスの演技をして引退するという考えはないんですか?」

 高橋は「まず来季は滑ってないです」と言った。そして冒頭の言葉を続けた。

 現役続行どころか、まさかの4年後宣言。記者は思わず「え? 平昌?」と聞き返した。当時の高橋は27歳で、平昌は31歳。今考えれば、失礼にもほどがあるが、仰天する記者を横目に見て「五輪に1度、出てしまうとそうなる」と、その魅力を説明した。

 高橋にとっての指針がある。4歳年上の「ロシアの皇帝」プルシェンコだ。引退を公言して臨んだソチ五輪で団体金メダルを獲得。だが男子SPは腰痛で棄権。誰もが一時代の終焉(しゅうえん)を感じた。しかしプルシェンコは4日後に現役続行の可能性を示唆。そのことを高橋に伝えると「え、まじっすか! 引退表明していたじゃないですか?」と仰天。その上で「年齢(が区切り)ではないと思う」と言った。プルシェンコは平昌前に引退したが、男子フィギュアの常識を覆してきたその姿は、脳裏に刻まれているはずだ。

 32歳になった高橋は1日、4年ぶりの現役復帰を表明した。ほおがこけて引き締まった顔は、報道する側にいた高橋とリオや平昌の現場で出会った時と違った。当面の目標は12月の全日本選手権という。35歳で迎える22年北京五輪については「北京までは考えてないです。無理ですね。いや、わからないけど」と苦笑いした。常識で考えれば無理だろう。ただ小さな声でつけ加えた「わからないけど」の言葉に、4度目五輪がゼロでないと感じてしまう。欧米中心の同種目でアジア勢初の五輪メダリストになった第一人者には前例のないチャレンジがよく似合う。【益田一弘】

 ◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の42歳。大学時代はボクシング部。五輪は14年ソチでフィギュアスケート、16年リオデジャネイロで陸上、18年平昌でカーリングなどを取材。