フィギュアスケートを取材して約1年半の私は、7月1日に4年ぶりの現役復帰を表明した高橋大輔氏(32)と直接の接点がほとんどない。競技会場にいる高橋氏を一方的に見つめる立場で、すれ違う際に軽く会釈をする程度だ。それでも平昌五輪を懸けた2017~18年シーズン、西日本を中心に取材する中で高橋氏の大きさを物語る、とても印象的な言葉があった。

競技復帰に至った経緯を、笑顔で報告する高橋大輔氏(撮影・林敏行)
競技復帰に至った経緯を、笑顔で報告する高橋大輔氏(撮影・林敏行)

 2017年11月30日、関大の千里山キャンパス(大阪・吹田市)の一角で、85歳の森本靖一郎氏を取材した時のことだ。近年、フィギュアスケートの一大拠点となっている、「関西大学たかつきアイスアリーナ」を建設した当時の理事長。取材がもうすぐ1時間に達するという頃、森本氏に「なぜリンクを作ることに情熱を注いだのですか?」と尋ねた。湯飲みに手をやり、少しだけ間をおいて返ってきたのが「やっぱり、高橋大輔が関大にいたっていうのが一番やわな」という理由だった。

 当時、日本のスケート界は深刻なリンク不足という問題に直面していた。大阪でも2004年11月、高橋氏らが練習した高槻市内の「O2スケートリンク」が閉鎖。限られた近隣のリンクは飽和状態となった。高橋氏が関大に入学したのが同年春。スランプと向き合いながらも、2010年バンクーバー五輪銅メダルへとつながる下地を作っていた。森本氏は当時をこう振り返っている。

 「高橋大輔に、織田信成。フィギュア熱はどんどん上がっているのに、スケートリンクは逆の方向(閉鎖)に向かっていた。目先の利だけを考えて『経費がかかるから』とどんどんつぶしていく。『それなら、関西大学がやろう』と思った」

「関大たかつきアイスアリーナ」の建設に携わった関大の森本靖一郎元理事長(撮影・松本航)
「関大たかつきアイスアリーナ」の建設に携わった関大の森本靖一郎元理事長(撮影・松本航)

 理事15人中14人が反対というスタートから、2006年7月の完成にこぎ着けた。現在は平昌五輪4位の宮原知子、シニア2年目を迎える白岩優奈、15歳の3回転半ジャンパー紀平梨花ら多くの有望選手が使用するリンク。懸命に練習に励む高橋氏の背中は、柔道や剣道、日本拳法など武道に親しんできた森本氏が、「目先の利ではない」とリンク建設に突き進んだ原動力の1つだった。

 高橋氏の人柄はファンのみならず、多くの人に愛されていることも感じた。現役復帰発表から一夜明けた7月2日、森本氏は感慨深げにこう教えてくれた。

 「昨日(1日)、高橋がホームページで発表する2時間ぐらい前に、わざわざ電話してきた。『現役復帰します』とね。心が温かくなりましたよ」

 多くの後輩選手が「大ちゃん」「大ちゃん」と親しみを込めて呼び、国際大会の会場でも宮原らが高橋氏を見つけるとスッと肩の力が抜け、笑顔になるのが印象的だった。「30(代)でも成長できるという姿を、12月が終わった時に見せられるようにしたい」。そう決意表明した「競技者・高橋大輔」の背中を見る時間は、後輩選手にとってかけがえのない財産となるだろう。

 6月18日に大阪北部で発生した地震の影響で閉鎖していた関大のリンクは、偶然にも高橋氏が現役復帰を表明した7月1日から利用できるようになったという。続けざまに吉報が届いた森本氏の声は「昨日はうれしい日だった。これは関大も勢いづくでしょう」と弾んでいた。高橋氏の奮闘はもちろん、その相乗効果を見るのも待ち遠しい。【松本航】


 ◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。兵庫・武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技を担当し、18年平昌五輪では主にフィギュアスケートとショートトラックを取材。