プレゼントするバトンやスパイクを手にする飯塚翔太(撮影・上田悠太)
プレゼントするバトンやスパイクを手にする飯塚翔太(撮影・上田悠太)

陸上の全日本実業団選手権(大阪・ヤンマースタジアム長居)が終わった翌日の24日。16年リオ・オリンピック(五輪)男子400メートルリレー銀メダリストの飯塚翔太(27=ミズノ)は午前中に大阪市内でイベントに参加した後、すぐ成田空港へと向かった。

午後5時。空港に到着した飯塚の肩には大きなトートバックが掛かっていた。その中にはバトン16本、スパイク、アップシューズ、練習ウエアなどの道具がぎっしりと詰まっていた。

飯塚が持参したトートバックの中身(撮影・上田悠太)
飯塚が持参したトートバックの中身(撮影・上田悠太)

強行軍での行き先は、アフリカ大陸南部にあるエスワティニ。日本からは香港を経由し、南アフリカに入り、そこから車で約7時間。今年4月に名前がスワジランドから変わった絶対王政が続く内陸の国だ。面積は四国より少し小さいぐらいで、人口は約130万人。失業率は25%を超え、人口の60%以上が貧困ラインを下回っているとも言われる。その日本人にはなじみの薄い土地で、強化合宿や競技の普及活動を行うという。

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事の発端は13年ユニバーシアード(ロシア・カザニ)にさかのぼる。男子200メートル決勝。ともに走った、ある選手と交友を深めた。レースが終わった後も、選手村で話をする仲となった。何げない会話の中で出てきた言葉が胸に刺さった。「僕はスポンサーがいないんだ」。当時すでに世界選手権2度、12年ロンドン五輪にも出場した実力を持つ選手なのに「当たり前のように話していて…」。日本は恵まれていると分かっている。とはいえ衝撃だった。アップシューズやウエアをプレゼントした。

17年世界選手権で再会し、笑顔を見せる飯塚(左)とマツェンジワ
17年世界選手権で再会し、笑顔を見せる飯塚(左)とマツェンジワ

その相手こそが、エスワティニ(当時スワジランド)代表のシブシソ・マツェンジワ(30)。ユニバーシアード後も大会の結果などメールやフェイスブックでのやりとりを重ねた。リオデジャネイロ五輪の前にも水色のスパイクをプレゼントした。何の運命か、予選は同組。レース前日は一緒に練習で汗を流した。贈られたスパイクで臨んだマツェンジワは予選で散ったものの、20秒63は国内記録(当時)の更新だった。

マツェンジワが16年リオ五輪から17年世界選手権まで使用していた水色のスパイク。左の爪先には穴が空いている。
マツェンジワが16年リオ五輪から17年世界選手権まで使用していた水色のスパイク。左の爪先には穴が空いている。

そのスパイク。マツェンジワは翌年の世界選手権(ロンドン)の直前まで履き続けていた。左の爪先は破れるなど、もちろんボロボロだった。それを知った飯塚は「今度持って行くよ」と新しいモデルのスパイクとシューズをロンドンまで持参した。練習場で手渡すと、マツェンジワはすぐに履き「すごくいいね」。満面の笑みを浮かべて、感謝の言葉を述べた。もちろんレース本番。マツェンジワの足には黒とオレンジのピカピカのスパイクがあった。

17年世界選手権で、飯塚からもらった新しいシューズを履き、笑顔のマツェンジワ
17年世界選手権で、飯塚からもらった新しいシューズを履き、笑顔のマツェンジワ

日本と豊かさも、宗教も、言語も、まるで異なる国のスプリンターとの友情は途切れず、続いていた。そして今春。飯塚から「そっちで一緒に練習したい。子どもたちとも触れ合いたいな」と連絡した。「ぜひ来てよ」と返信が届いた。過去にマツェンジワを日本に招待する計画もしたが、かなわなかった。出向くことにすると、指導を受ける豊田裕浩コーチの同級生が南アフリカで働いていた縁もあり、話は具体的に進展した。

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この原稿がアップされる頃には、日本から約1万3000キロ離れたエスワティニに到着しているだろうか-。飯塚は言う。

「もともと世界を回って、走りたい気持ちもあったんです。あと普及ですね。走る楽しさを伝えたいんです。それも現役の動けるうちに行きたいという思いもあって。時間は限られてしまうかもしれないですけど、現役の方がやれることも多いと思うんです」

エスワティニへ行った後には、南アフリカの日本人学校で授業や普及活動も実施する。リュックにはリオデジャネイロ五輪男子400メートルリレーの銀メダルも入っていた。

来月1日に帰国し、7日には福井国体の男子400メートルリレーに静岡代表として出場予定。ハードスケジュールも「このタイミングしかなかったんですよね」と笑う。

普及の意気には義務感がない。本当に心の底から好きでやっているのだろう。搭乗時間まで1時間を切り、「わざわざ来てくれてありがとうございます。では行ってきます」と言い、白い歯を見せながら出発ゲートを通った。屈託のない喜々たる表情が、その何よりの証明だった。【上田悠太】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

17年世界選手権で再会し、笑顔を見せる飯塚(左)とマツェンジワ
17年世界選手権で再会し、笑顔を見せる飯塚(左)とマツェンジワ

◆上田悠太(うえだ・ゆうた)1989年(平元)7月17日、千葉・市川市生まれ。明大を卒業後、14年入社。芸能、サッカー担当を経て、16年秋から陸上など五輪種目を担当。