浜田美栄コーチ
浜田美栄コーチ

3月23日、世界フィギュアスケート選手権を締めくくった男子フリーで、新たな歴史が刻まれた。さいたまスーパーアリーナ内に設けられた記者会見場の壇上には、中央に圧倒的な演技で優勝したネーサン・チェン(19=米国)。その右隣には五輪2連覇の2位羽生結弦(24=ANA)。そして左にビンセント・ゾウ(18=米国)が座っていた。

会見は1位から順に、大会を振り返るコメントから始まる。その最後にマイクを握ったゾウは、所々に初々しさを見せながら「私は実感が湧いていない。最高の結果になりました。しかも、あのネーサン・チェン選手、羽生結弦選手と、メダリストになれたことがうれしい。そして米国男子として96年以降で初めて、2人がメダリストになれた」と同年金メダルのエルドリッジ、銅メダルのガリンド以来となる快挙を喜んだ。

ゾウは現在の連続ジャンプで最も基礎点の高い4回転ルッツ-3回転トーループを冒頭で成功。出来栄え点は3・94点で、1つの要素だけで19・64点を稼いだ。回転不足が2つあったものの、3種類の4回転ジャンプを操り、会場は総立ち。その姿をリンクサイドから5歩ほど下がった位置で喜んだのが、日本の浜田美栄コーチ(59)だった。

浜田コーチは今大会の女子4位紀平梨花(16=関大KFSC)、6位宮原知子(20=関大)の指導者として広く知られている。もちろん、今回も2人をアリーナ内外で支えた上で、ゾウについても公式練習の時点から助言を送っていた。2月の4大陸選手権でゾウの口から「ハマダ」の名前が出ており、その経緯が個人的に気になっていた。

そもそもの出会いは5年ほど前だったという。浜田コーチが教え子を連れ、振り付けや、合宿などで度々訪れる米コロラドにゾウはいた。他の選手でもよくあるように、同じリンクで時間を過ごすうちに助言を求められ、その関係がより近くなっていった。

18年夏や、今大会前にはゾウが関大のリンクで練習。浜田コーチは「回転不足を取られてしまうところはあるけれど、能力はすごく高い」と評し、ジャンプだけでなく、気付いた点をアドバイスする。一方で「やっぱり私は自国のコーチが見るのがベストだと思っています。だから、あくまでもメインのコーチ(が第一)です」という持論があり、適度な距離感を保つ。

紀平や宮原も欧州や北米で合宿を行った際には、羽生のジャンプも担当するブリアン・ジスラン・コーチや、ステファン・ランビエル・コーチからの助言にヒントを得てきた。カナダ・トロントに拠点を置き、多くの国の代表選手を指導するブライアン・オーサー・コーチのような例も含め、一国に縛られるのではなく、各指導者がスケート界全体のレベルアップに貢献する構図は、この競技の財産だと思う。

最近、話の流れで浜田コーチの指導に対する姿勢を再確認する機会があった。強化選手ではない、一選手がしみじみと言っていた。

「浜田先生、4大陸選手権で米国にいたのに、フリーが終わったら飛行機に飛び乗って、24時間後には大阪の小さな大会で滑る、1回転しか跳べない子たちをリンクサイドで指導していたんです。これって、本当にすごいなと思いました」

今大会ではホームセンターで片っ端から購入した、5000円分のテープを持参。スケート靴の繊細な感覚の調整に苦労する紀平とは、リンク外でも一緒に最善の方法を探った。ショートプログラム(SP)を終えた宮原には「気持ちの問題。調子よく来たのに、守ることはない。思いっきりやりなさい」と厳しく声をかけ、フリーの好演技へつなげた。

思い返せば平昌五輪前の18年1月、コーチとしての楽しさをこう語っていた。

「私のところで6歳の女の子がシングルアクセル(1回転半)を跳べるようになって、うれしそうに何回も練習している。そういう子たちが生きがいを持てるようにやってきましたし、それが好きなので、私は変わりません。1回転半を跳んだら、喜ぶことを貫きたい」

全ては目の前の教え子、その笑顔のため。指導の横幅が世界へと広がっても、その姿勢だけは変わっていない。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当し、平昌五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを中心に取材。

18年12月8日、グランプリファイナルで優勝が決まり、両手を上げる紀平。右は浜田美栄コーチ
18年12月8日、グランプリファイナルで優勝が決まり、両手を上げる紀平。右は浜田美栄コーチ