J1初優勝を目指すFC東京が、リーグ開幕から9戦負けなしの首位で令和を迎えた。チームの陰の功労者がボランチのMF橋本拳人(25)だ。相手のパスコースを消す、味方の動きに合わせて立ち位置を修正する、出足鋭いボール奪取でピンチの芽を摘む-。守備のスペシャリストとして、記録に残らない貢献を続ける。長谷川監督が掲げる堅守を体現する。

今年3月に日本代表デビューも果たしたが、25歳は若くはない。下部組織から順調に昇格を続けたが、J1デビューはトップ昇格4年目と時間を要した。1度も試合に出られないまま、2年目の5月にJ2ロアッソ熊本へ期限付き移籍。プロとしては“足踏み”にも見える2年間こそ「本当に必要な経験だった」と話す。期限付き移籍を告げられたのは突然だった。3日で最低限の荷物をまとめ、スーツケース1つで熊本に向かった。「このまま消えていくのかな」。熊本行きは“片道切符”だという危機感。飛行機の中で1人、挫折の涙に暮れた。

熊本で、3人の日本代表経験者に勇気をもらった。北嶋秀朗、藤本主税と南雄太。練習後にクラブハウス近くの喫茶店に連れられ、昼食を取りながらサッカー談議をするのが日課だった。話に熱中しすぎて気がつけば日が落ち、そのまま夕食を取ったことも。「お前は絶対に上でやれる」と背中を押され、心に再び火がついた。苦境に立った経験があるからこそ、順風の今も慢心はない。「へこたれないで、1歩1歩ここまできた。ワールドカップ(W杯)という夢はある。支えてくれる人たちの思いに応えることの積み重ねが、そこにつながると信じてます」。家賃約3万円の家を借りて過ごした熊本で2年間。そこで得たこの気持ちが、1度は挫折した男をよみがえらせた。

平成最後の日本代表戦となった3月26日のボリビア戦で、初めてA代表のピッチに立った。持ち前のボール奪取で相手の仕掛けを次々と阻み、無失点に貢献した。それでも「追加招集でしたし、また呼ばれるかなという思いはない」。上々のデビュー戦も、スタート地点に立っただけ。チームを令和の初代J1王者にする、そして令和では代表の主力に。22年W杯カタール大会で花を咲かせることが、東京と熊本への恩返しだ。【岡崎悠利】

◆岡崎悠利(おかざき・ゆうり) 1991年(平3)4月30日、茨城県つくば市生まれ。青学大から14年に入社。16年秋までラグビーとバレーボールを取材。16年11月からはサッカー担当で今季は主に横浜とFC東京、アンダー世代を担当。