じっと土俵を見つめていた。

暑さが残る9月25日、大阪・堺市大浜相撲場。 アマチュア相撲の全国学生個人体重別選手権で、学生力士がしのぎを削っていた。

観客席には、熱心に取組を見つめる、ひときわ大きな背中の18歳がいた。

2月24日に始まり、ロシアのウクライナ侵攻はいまなお続く。国外への避難を余儀なくされる住民も多い中、日本とウクライナをつないだ相撲の縁があった。

ダーニャの愛称で親しまれるウクライナ出身のダニーロ・ヤブグシシン(18)は軍事侵攻後、今年4月12日に来日。現在は関大相撲部とともに、けいこを行っている。きっかけとなったのは関大相撲部主将を務める山中新大さん(あらた、23)との出会いだった。

3年前、15歳だったダーニャは大阪・堺市内で行われた世界ジュニア相撲にウクライナ代表として出場。銅メダルを獲得した。

当時、新大さんはすでに大学生で、父隆史さん(55)とともに観戦に来ていた。新大さんは日本屈指の高校生と互角に戦った試合後のダーニャに声をかけ、意気投合。SNSでお互いの連絡先を交換し、そこから交流が始まった。

以降は翻訳機能を駆使しながらお互いの近況や大相撲に関する事など、やりとりを続けていたという。

しかし侵攻が開始されて事態は急変した。ダーニャは侵攻約2週間後にドイツに避難して、新大さんへ一通のSOSを出した。

「日本へ行けますか」

隆史さんは、当時を振り返り「これは断れない。人道的ということよりも、頑張ってきた相撲がつないでくれた縁。これは受け入れようとなった」。

すぐに受け入れの準備を進め、特例のビザも発給された。「とんとん拍子で事が進んだ」と隆史さん。

ダーニャは約1カ月で来日した。関大での練習も許可が降り、山中家での日本生活が始まった。

「相撲が一番好き」と話すダーニャ。6歳で柔道、7歳から相撲も並行して始めた。10歳ごろからは新たにレスリングも始め、ウクライナの国内王者にも輝いたという。しかし心は土俵に向いた。「早い動きで、簡単なルール」に魅力を感じ、相撲の道へ。

特に心をひかれたのは、大相撲だった。

隆史さんは「アマチュアの舞台ならレスリングでも良いそう。大相撲の雰囲気に魅力を感じ、あの土俵に立ちたいとなったそうです」と、ダーニャの夢を代弁する。

18歳は、大きな夢に向けて現在、関大のトレーニングジムや道場でけいこに励む。兵庫・神戸市内にある山中家から新大さんとともに通うが、隆史さんによると「息子が先に(学校に)行く時は1人で関大まで行きますよ(笑い)。バスに乗って、電車を乗り継いで」と日本の生活に慣れてきている様子。好きな食べ物を問うと「鍋、2番目はラーメン、(3番目は)すし」と日本語で回答。5カ月を過ごして、日本語も少しずつ上達しているという。

悲惨な戦争の最中、相撲がつないだ絆。隆史さんは「息子のように思っています。すごくかわいいです」。ダーニャも「家族はめっちゃいい人」と感謝の思いを口にした。

他国の少年を救い、夢を与えた、その全てのきっかけになったのは日本の国技だった。【波部俊之介】 (ニッカンスポーツ・コム/コラム「We Love Sports」)