「レッテル」を貼れば、見えるものも見えなくなってしまう。1月中旬は全国都道府県対抗女子駅伝へ。危うく先入観にとらわれるところだった。滋賀で2区を走った不破亜莉珠(ありす、23=センコー)と話した。彼女は、ちょっと困った顔をして打ち明けた。

「妹が過去に爆走していたのもあって、すごく『姉』という感じで注目されることが多くなって。『姉』と、よく言われます。もっと自分が活躍して、自分を、私を見てくれたらなと思います」

胸中に引っかかっていることを吐露し「まだ、頑張りが足りない」と続けた。そこには周りに反発するような響きはない。女子1万メートル日本歴代3位のニューヒロインを妹に持つ宿命を受け止め、誠実に長距離走と向き合っていた。「不破聖衣来の姉」である前に、トップを目指す、ひとりの実業団ランナーなのだ。

悔しいレースになった。西大路通を駆け上がり、北大路通を一気に下る4キロ。起伏が激しく、脚力を問われるコースだ。6位でタスキを受け取る。目の前に福岡の走者がいる。「上りきって、下ってから実力の差が出てしまった。離れる展開になった。最初に突っ込んで、足を使ってしまって…。足作りもできていなかった」。終盤、ゆるやかな下りの中継所手前でも足取りは重い。13分3秒で区間19位。課題が口を突いた。

「復活した走りをもっと見せたかった。私の実力不足で順位を(10位に)下げてしまったけど、キッカケをもらって、さらに頑張ろうと思いました。自分のいまの実力も分かりました」

亜莉珠の志は高い。中学時代から全国で活躍。14年は群馬・高崎大類中でジュニアオリンピック3000メートルに出場。のちの東京五輪1500メートル8位の田中希実(23=豊田自動織機)らと競い、9分36秒26の7位と力走した。高崎健康福祉大高崎でも、全国高校駅伝に出場した。卒業後は社会人のホクレンで走り続けた。

「私、このままじゃダメだ…」。競技生活の岐路に立ったのは2年前だ。不破姉妹は対照的だった。21年に拓大1年だった妹はトラックや駅伝で優勝や区間賞を連発。日本陸上界の話題を独占した。姉は北海道で伸び悩み、葛藤していた。

「思うように走れてなくて、コレは私じゃない、何かを変えなきゃいけないって。私が走れなかったときに妹がすごく頑張っていました。移籍するキッカケとか『いまのままじゃダメだ』と強く思わせてくれた。大きく踏み出せたんです」

北海道を去った亜莉珠は21年、滋賀が拠点のセンコーに入社した。昨年12月、5000メートル16分5秒の自己ベストを更新。再び、心身の歯車がかみ合いだした。

姉が見せてきた背中がある。小学生だった妹と持久走の練習で毎朝、一緒に走った。姉のうしろを追った。4学年下の妹が陸上を始めるキッカケになった。

敵なしだった妹は昨年、故障がちで今大会も欠場した。それでも、姉妹は力を分かち合う。このレース前、亜莉珠は妹と話をした。

「緊張してるよ」

鼓舞する言葉はない。妹から、さらりと送り出された。「楽しんできてね。テレビにたくさん、映ってきてね」。ただ、念押しされた。亜莉珠が高校時にタスキ渡しに失敗したことを覚えていたのだ。「番号を呼ばれてなくても、前にいなよ」。実はこの日、中継所で走ってくる仲間の姿が見当たらなかった。「え、おかしいなと。前に出たタイミングで見えて、自分でもいい判断をしたなと。妹に言われて、前にいたのもあるんです」と感謝した。

いま、亜莉珠は「私が走れるようになってきて、逆に妹が悩んでいれば、私が頑張っているから『聖衣来も頑張んなきゃ!』って。いい刺激をしあえていますね」と笑う。姉がいるから妹がいる。不破亜莉珠と聖衣来。妹の姿はなかったが、冬の京都で絆に触れた。姉には強い思いがある。

「1年、努力して、16分1桁では満足せずに、15分台をバンバン出して(出身の)群馬県と滋賀県、どっちで大会に出るんだと選択肢があるくらいに、強い選手になりたいですね」

好きな言葉は「らしくあれ」だ。凜(りん)とした姿があった。妹が見てきた背中だった。【酒井俊作】

滋賀から出場して力走した不破亜莉珠(撮影・酒井俊作)※撮影時だけマスクを外しています
滋賀から出場して力走した不破亜莉珠(撮影・酒井俊作)※撮影時だけマスクを外しています