この手の話を、これまで何度聞いてきただろう。いつも、やり切れない気持ちになる。

陸上日本選手権開催中のヤンマースタジアム長居で2日、ある表彰式が行われた。日本列島を襲った大雨の影響で、観客から見えるグラウンドではなく、少し寂しいスタジアム内の正面ロビーで行われた。

表彰は、12年ロンドン五輪女子20キロ競歩代表の渕瀬真寿美(36=建装工業)の8位入賞を祝うものだった。

グレーのスーツに身を包んだ渕瀬は硬い表情で、たった1人、立っていた。

賞状と花束を渡されても、表情が晴れない。

日本陸連の尾県貢会長を声をかけられて、やっと少しだけ笑った。

11年前のロンドン大会当時、渕瀬は11位でフィニッシュした。しかしその後、上位の選手にドーピング違反が相次いでいた。トップだったロシア選手も金メダルを剥奪された。

国際オリンピック委員会(IOC)は今年3月、渕瀬が8位に繰り上がったことを発表。IOCは順位の変動があった場合、公の場で表彰することを、取り決めとしている。

表彰式は、それに準じて行われた。

これで、渕瀬は日本女子競歩で五輪(オリンピック)における最初の入賞者になった。そして現時点で唯一の入賞者だ。

渕瀬は「10年以上たって入賞まで変わるんだなと正直びっくりしています」。

9位→8位入賞、4位→銅メダルなら、当該の選手が順位変動の可能性を感じることもあるだろう。

しかし11年たって11位から8位入賞まで繰り上がるとなれば、戸惑うのも無理はない。

渕瀬は「これから試合(のコール)で『ロンドン五輪8位入賞』とご紹介してもらうと『そうなったんだ』と実感するかもしれません」と控えめに笑った。

本来、渕瀬にはそうやって呼ばれる権利が、11年前からあったはずだ。

そしてそう呼ばれたであろう11年間は、もう2度と戻ってこない。

「あの時、あの会場で仲間やコーチ、観客と一緒に喜び合えたであろう瞬間は2度と戻ってこない」

08年北京五輪男子400メートルリレーでアンカーを務めた朝原宣治氏の言葉は、ドーピングが奪い去るものを端的に示している。

同種目では大会から10年後に日本の銅メダルが、銀メダルに繰り上がった。

朝原氏は「いまさらですよ。その場で堂々と勝負しているのが僕ら(アスリート)の価値。それが感動や喜び、見てくれる人の記憶に結びついている。その瞬間を逃して順位が上がっても(記憶に)結びつかない」。その上で「処分が緩いですね。(資格停止で)何年かしたら、大会に出てくるとか。1発で永久追放でもいい」とも言っていた。

渕瀬は、12年ロンドン大会が初めての五輪だった。

「8位入賞を目標にやって、いい練習ができた。でも8位の選手が見えている中で追いつかずに(11位フィニッシュ)。世界との差を感じながらゴールしたことを覚えています」。目標に届かず、その後はケガと戦いながら「自分自身の競技人生もあと少し。悔いなく終わりたい。まだやりきれていない部分がある」と現役を続けている。

だが11年たって、本当はロンドン大会で8位だったことがわかった。

「あの場で8位でゴールしていたら、やりきったと喜べた。でもなかなか今は、8位と言われても…。う~ん」と目に涙を浮かべて、言葉に詰まった。

金メダルを剥奪されたロシア選手はドーピング違反をしていた。本来はスタートラインに立ってはいけない選手だった。

11年たって順位が繰り上がっても、年月は戻ってこない。これは渕瀬だけではなく、他国の選手も同じだ。

渕瀬は、ロシア選手への感情について「国全体としてのドーピングだと思うので、個人としてはしたくないと思いますが…。国の中でどういう雰囲気になっているのか、わからない。ロシア選手はフォームが良くて、そういうこと(ドーピング)をしなくてもメダルをとれる選手なので、かわいそうだなと…」。

同じ競技をする選手として同情的な気持ちもある。

一方で「あの場での入賞したかった。ドーピングはよくない。(当該のロシア選手は国に対して)どうもいえないのか、(ドーピングを)せざるをえないのか」とまた涙を浮かべた。

IOCは公の場で表彰を、という。大会時に奪われた歓喜の瞬間、祝福の時間を少しでも感じてほしい、との配慮だろう。それはそれで尊いが、選手は素直に喜ぶことはできない。本来ならば、メダリストとして、入賞者として、過ごしたはずの時間は戻ってこない。

そして「なぜドーピングを」という疑問や、それに伴う怒りは消えることがない。

ドーピングにまつわる、いつもの光景だった。そして悲しいことだが、今後も同じ光景を見るだろう。そう考えると、またやり切れない気持ちになった。【益田一弘】

ロンドン五輪女子競歩に出場した渕瀬真寿美(中央)(2012年8月11日撮影)
ロンドン五輪女子競歩に出場した渕瀬真寿美(中央)(2012年8月11日撮影)
日本陸上競技選手権大会 2012年のロンドン五輪女子20キロ競歩で、8位入賞に繰り上がり表彰を受けた渕瀬真寿美(撮影・藤尾明華)
日本陸上競技選手権大会 2012年のロンドン五輪女子20キロ競歩で、8位入賞に繰り上がり表彰を受けた渕瀬真寿美(撮影・藤尾明華)
日本陸上競技選手権大会 2012年のロンドン五輪女子20キロ競歩で、8位入賞に繰り上がり表彰を受ける渕瀬真寿美(撮影・藤尾明華)
日本陸上競技選手権大会 2012年のロンドン五輪女子20キロ競歩で、8位入賞に繰り上がり表彰を受ける渕瀬真寿美(撮影・藤尾明華)
日本陸上競技選手権大会 2012年のロンドン五輪女子20キロ競歩で、8位入賞に繰り上がり表彰を受ける渕瀬真寿美(撮影・藤尾明華)
日本陸上競技選手権大会 2012年のロンドン五輪女子20キロ競歩で、8位入賞に繰り上がり表彰を受ける渕瀬真寿美(撮影・藤尾明華)