リオデジャネイロ五輪まで、残り約2カ月と迫った。弊紙での報道を見ると、今大会から112年ぶりに正式競技に復帰するゴルフで、アダム・スコット(オーストラリア)らトップ選手が欠場を表明しているという。88年ソウル五輪で64年ぶりに復帰したテニスの時と似たような状況だ。

 五輪のシーズンになると、国内のテニス専門家たちは、必ず「テニスで重要なのは4大大会。五輪ではない」と叫び出す。今大会は、錦織圭(26=日清食品)が、初めてトップ10として挑戦する五輪だが、その錦織にも「余計なプレッシャーをかけるな」と言わんばかりだ。

 確かに復帰当初は、現在のゴルフのように欠場したトップ選手も多くいた。元世界1位のサンプラス(米国)は、1度も五輪に出ていない。64年間も五輪に接していなければ、空気感や4年サイクルのリズムがなじまないのは当たり前。イメージも湧かない。

 しかし、復帰後7大会を経過し、五輪は選手に十分、浸透してきたと思う。出場することに違和感がない選手が大半だろう。世界1位のジョコビッチ(セルビア)、4大大会歴代最多17度の優勝を誇るフェデラー(スイス)らは、今年は五輪が目標と明言している。

 男子のティエム(オーストリア)やキリオス(オーストラリア)らさまざまな理由で欠場を表明する選手はいる。ただ、それはツアーの大会でも同じだ。選択権は選手にある。もちろん、国を代表する権利を放棄するのは勇気のいる行動だが、おのおのの選手が決めればいい話だ。

 確かに、国内の五輪偏重主義には警鐘を鳴らしたい。スポーツは五輪が全てではない。社会主義ではあるまいし、メダルの数で国を元気にしようなど、その発想にスポーツはない。スポーツは楽しいものだ。五輪のスポーツも同じである。

 五輪にテニスやゴルフが復帰した。両競技の選手たちは、五輪が全てではないと分かっている。ならば4年に1度、楽しみが増えたと思えばいいではないか。両競技とも中心のプロ選手は注目されてなんぼ。五輪で楽しみが増え注目されるなら、それに越したことはないだろう。

【吉松忠弘】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「よっちゃんのテニス塾」)