7月になりました。アン・シネです。アンニョンハセヨ~! 毎週火曜日の「アン・シネのサランヘヨ ゴルフ」は5回目。みなさん、おなじみになってくださっているでしょうか? ワタシのことをもっといっぱい知っていただきたいので、今週は「アン・シネ ゴルフヒストリー(2)」です。みなさんともっとお近づきになりたいです。よろしくお願いします。


 ニュージーランドに移住したのが小学校3年生。韓国に残って仕事をしてくれていたお父さんもニュージーランドに来てくれたのがその2年後、というお話は前にしました。集中してゴルフをし始めたのはそれからです。英語での生活にも慣れて、ゴルフの練習を一生懸命始めた私は、うれしいことにニュージーランドの国家代表にも選んでもらうことができました。運もすごくよかったと思います。

 プロになってもいいかなぁ、と思い始めたのは国家代表になってから。その頃からは、ワタシだけでなく家族もそう思っていたと思います。

 もちろん、練習して勉強して試合に出る毎日は忙しかったので。正直にいうとしんどいと思ったこともありました。練習も「あれをやって、これをやって、その次は…」とキリがありません。試合会場で宿題をやったこともあります。両立させるのは大変でした。

 それでもゴルフが続けられたのは、上手な人たちの中で競争することが楽しかったから。そこで勝てたら喜びはもっと大きい。だからできたんです。ニュージーランド時代の記憶は、勉強とゴルフしかありません(笑い)。


 15歳の時、家族で韓国に戻りました。いろいろ迷ったけど、韓国が恋しかったというのもありました。

 ところが、帰ってみると、韓国人なのに、なんだかちょっと違う感じがしました。ニュージーランドで育ったからもあったでしょう。それに、前に韓国で暮らしていた時は子供だったワタシが、少し大人になっていたということもあります。

 また韓国も時代が変わった頃だったからかもしれません。自分の国なのに慣れない変な感じがしました。でも、ここでも運がよくてアマチュアゴルファーとして活躍することができたんです。高校3年生の時にプロに転向し、韓国の下部ツアーにあたるドリームツアーに出て、次の年はKLPGAツアー。2010年に賞金ランキング3位にもなって、しばらくはここでプレーしていました。

 去年、日本に来たのは、ここの文化が好きだからです。実は親戚のおばさんが長く日本で暮らしているので、話はよく聞いていて、いいイメージを持っていました。でも行ったことはなくて。おばさんのところで暮らすのもいいかなぁ、と思ってもいました。

 来てみたら、日本人のマナーや文化、考え方は韓国人とはずいぶん違いますね。でも、日本のそれは素晴らしいと思うし、ワタシ、文化にも食べ物にも、日本のことにはすべて、すごく興味を持っているんです。ツアーでプレーしているだけじゃなくて、日本に興味があります。もっともっと知りたいなぁ。みなさんを通じて、知ることができればうれしいです。


◆アン・シネ初の写真集「Shine」(講談社、定価3700円)が好評発売中だ。撮影場所は、オーストラリアのゴールドコースト。ビキニやセミヌードにも挑戦した。


取材構成 遠藤淳子(清流舎)

協力 ザ・インペリアルCC(茨城県稲敷市)