15日の朝、米ツアーのプレーヤーズ選手権最終日のテレビ中継を見ていた。画面が、通算イーブンパーで終えた池田勇太(31)のインタビューに切り替わる。今にも涙があふれそうになりながら、懸命に言葉を紡いでいた。

 ゴルフ担当になってまだ2年。長くはない担当歴で重みがないことを承知で言えば、初めて見る表情だった。昨年の全米オープン、全英オープン、今年に入って世界選手権シリーズのデル・マッチプレー、マスターズ…。現地で取材した時の記憶をたどってみる。海外の壁にはね返された時でも悔しさは内に秘め、淡々と語ってきた。それが今回は、画面を通じてでも、あらわになった感情が伝わってきた。

 「第5のメジャー」と呼ばれる大舞台で22位。最終日に74で2つスコアを落としたとはいえ、米ツアーでは池田にとって10年CA選手権に並ぶベストフィニッシュだった。最初は、ここまで悔しがるのかと思ってしまったほどだった。

 思い出したのは4月のパナソニック・オープン。マスターズ後、米国に残ってもう1試合を戦い、開幕2日前に帰国する強行日程。異変が起きたのは第2日の17番。ティーショットが、超えていくはずのバンカーに入った。バックスイングで背中を痛め、力が入らなくなっていた。しかし、カットラインギリギリで予選通過した翌日。スタート前にトレーナーから「(スイングを見て)やばそうだったら止めるから」と“ドクターストップ”寸前の言葉をもらいながら、67をマークした。「(予選のフラストレーションを)発散できたと言うには程遠い」。ニコリともせず言う姿に賞金王の意地を感じた。

 プレーヤーズ選手権の最終日はブルックス・ケプカ(米国)と2人で回っていた。昨年ダンロップ・フェニックスでは優勝争いの末、1歩及ばず敗れた強豪。当時、池田はロープの外から見守るトレーナーに1つのお願いをしていた。「スイング、体つきを見て、オレにつながりそうなものを探してほしい」。昨年1月から本格的に取り組んだ筋力トレーニング。日本のシーズンが佳境に入るダンロップ・フェニックスの頃は初の賞金王も視野に入ってきた時期だったが、一貫して求めるのは世界で戦える力だった。

 すでに25日開幕のディーン&デルーカ招待(テキサス州)、6月1日開幕のメモリアル・トーナメント(オハイオ州)の出場が確定。22日時点で世界ランク60位以内(14日時点で50位)をキープできれば、全米オープン(6月15日開幕、ウィスコンシン州)の切符も得られる。

 自ら「現実を突き詰めないと気が済まないタイプ」と言うように、先の話をすることを好まない。現時点では「夢として、僕はアメリカで戦いたいっていうのはある」とだけ話している。ハイペースで海外へのスポット参戦を重ねる今季。プレーヤーズ選手権最終日の池田に、その覚悟を見た。【亀山泰宏】