石川遼(26=CASIO)が来季の主戦場を日本ツアーに移す。12年以来、6季ぶりのことになる。

 公傷制度の適用を受けて臨んだ昨季の米レギュラーツアー最終戦、ウィンダム選手権ではシーズンベストの「66」を2度マーク。直後の入れ替え戦を突破できず、今季の出場権を失ったものの、再起を図る舞台として当初伝えられた米下部ウェブドットコムツアーで1年間戦えば優勝争いに絡む機会も出てくるのではないか。個人的には、そんな予想をしていた。

 ただ、国内復帰初戦、日本オープンの開幕直前に石川は大きな決断を下した。ダウンスイングで手首を返し、手元が体から離れてしまう悪癖と根本から向き合う、と。だから、国内自己ワーストを更新する5週連続予選落ちも大幅なスイング改造を進める上で必然の代償とすら考えていた。17年最終戦となったカシオ・ワールドオープンでは1打差2位。目指すスイングの精度が上がってきていることは実感できても、見過ごせない部分があった。「カシオで2位になりましたって言っても、全然、ゴルフに余裕がないですから。いつどんな球が出るか分からない。曲がったらどうしよう、とか。だから“遊べない”」。そして、プロ10年目を終えて18年は軸足を日本に戻すことを明言した。

 遊び心-。5年間の米ツアーで失った感情だった。林の中からの奇跡的なリカバリー、絶体絶命のピンチを巧みなショートゲームで切り抜ける。日本では、優勝がかかった重要局面でもそうやって幾度となくギャラリーを酔わせてきた。「オレはこんなショットを打てる」「オレはここからでもパーを取ってみせる」。原動力となるのが「遊び心」だった。米国では違った。「オレはアメリカでそういう風に思ってプレーしたことがない。『必死』って感じだもんね。例えばグリーンを外した時、ここからどうやってパーを取ってやろうっていうよりも、とにかくダボ(ダブルボギー)にしないようにっていう…。その考えの違いだよね」。悔しそうに明かした。

 肩の力を抜きたいわけではない。プロである以上、結果を求めているし、求められるのも分かっている。しかし、その結果にしがみつくあまり、変質してしまったメンタリティー。それは石川遼というゴルファーの根幹を揺るがす。「そういう風になればなるほど、自分のゴルフが小さくなっていく。メディアには、結果が出ないから苦しいという捉え方をされるけど、自由さがないゴルフっていうのが一番苦しいんです。その気持ち(遊び心)が芽生えないと分かっていて試合に出るのが、すごく苦しいんです。結局、そうなると結果にもつながってこない」。悪循環だった。

 米下部ツアーでは賞金ランク25位以内に入れば、翌シーズンのレギュラーツアー出場権を獲得できる。それはツアーメンバー返り咲きを狙う石川にとって魅力的であると同時に、明確な数字の基準があることで再び結果だけに固執することになりかねない、と考えたかもしれない。「そうすると、またここから自分が伸びない気がして」。遊び心を生むのは、ベースとして持っている技術にほかならない。だから、ひたすら練習する。練習場でできたことをコースでも再現できるか。愚直なトライ&エラーを繰り返し、技を磨く。

 「トップでやっている人たちって、ボールで遊べてるんですよ。試合って『オレら、こんなの打てるんだぜ』っていう技の競演じゃないですか。いい意味での遊び心がないと、そういう(突き抜けた)パフォーマンスは出せない。アメリカでもそういう気持ちでいけると思えないと、結局、オレはメジャーで勝てないと思う。それを5年10年で達成したい」。米ツアーメインの5年間を「現実として通用しなかった」と受け止めている。他の選手を見て、うらやましく思ったのも初めてだったという。世界中から才能が集まり、コースは過酷。そんなシビアな環境で「遊び心」を貫こうと思ったら、うまくなるしかない。かつて日本ツアーで頂点を極めた時よりも、ずっとうまく。それこそが、石川の選んだ道だ。【亀山泰宏】