プロ野球の名監督・野村克也氏がよく使う言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのがある。松浦静山の剣術書「剣談」からの引用らしいが、8月31日に終了した「アールズエバーラスティングKBCオーガスタ」(福岡・芥屋GC)での藤田寛之(45=葛城GC)の勝利はまさに「勝ちに不思議の勝ちあり」だった。

 藤田は、この大会が行われている芥屋GCから車で30~40分の福岡市東区香椎というところで高校3年まで生まれ育った。小学6年生で友達からゴルフというものを教えてもらい、中学からは野球をしながら、ゴルフのとりこになっていく。中2の時に、父寛実さんにこの大会に連れきてもらい、さらに興味を覚える。地元の香椎高校では、ゴルフひと筋となり、専修大に進み1992年(平4)に、プロゴルファーになる。この大会には翌93年から出場している。初出場の年に予選落ち、以下2回出場しない年があったが、昨年まで6回のトップ10があるものの「優勝して故郷に錦」は飾れず、ここまで来た。

 今年も、第3日が終了して首位に6打差の17位。この土曜日、16番のパー4では、藤田がめったにたたかないダブルボギーも打っている。その夜、香椎の実家に帰った藤田は、母登美子さんの作ったすきやきをつつきながら、体が弱くなり観戦に来られなくなった父の小言を聞くことになる。「あんなダボはいかんたい。下手はもっと練習せんと」。いつものことだが、父も息子も「こんな調子なら今年も優勝は無理だな」と思っていた。

 父に練習しろ、と言われても、5月の関西オープンあたりからずっと、左肩が痛くて猛練習でなる藤田の練習量は落ちていた。福岡にくる前には東京でついに炎症止めの注射を打ってからくるほどだった。だから最終日は、自分にも期待せずに「トップ10でも目指そうか」とスタートしていった。だが、しかしである。2番でボギーが先行したが、その後なんと8バーディーを奪って65が出たのだ。通算12アンダーでホールアウト。それでも練習場に行ってボールを打ってプレーオフに備えるが「後ろの組の誰かが13アンダーでは来る。よくて2位かな」くらいにしか思っていなかった。それが、金亨成も崩れ、宮里優作も追い上げならず通算11アンダー。梁津万だけが藤田と並ぶ12アンダーとなり、思いもかけぬプレーオフに突入した。

 プレーオフは18番パー5(553ヤード)で行われた。藤田のドライバーの第1打は、4ホール目まではことごとく右のラフにいった。第2打をフェアウエーに出して、ようやく3オンしてパーを取るのがやっとという内容だった。対して梁は、4ホール目までは常に3メートル前後のバーディーパットを残し、これを入れれば日本ツアー初優勝というパットを外しまくり、ドローが続く圧倒的有利な内容だった。「判定なら完全に負けていましたね。9対1で梁さんが勝っていました」と藤田も認めている。

 しかし、5ホール目で藤田のティーショットが初めてフェアウエーをとらえると、勝負の様相がガラリと変わる。藤田がバーディー外しのパーに対し、梁は4オンで4メートルのパーパットを外した。サドンデスでありながら、大逆転のような形でやっと決着がついた。通算17勝目にして、初めての地元優勝。コースには来られなかったが、自宅で応援する両親が「元気なうちに勝ててよかった」と号泣した。感動の優勝にこちらもウルウルきたが、藤田の「こんな調子で勝たせてもらいました。不思議な勝ちですね」に「そうやな」と私もうなずくしかなかった。

 ゴルフにも「勝ちに不思議な勝ちあり」ということであろう。自分自身や両親の思い、地元の声援、いろんなものに後押しされて勝ってしまう不思議さをあらためて感じた。

 しかし、ひとつだけ「勝ちにつながる理由」があったことを忘れてはいけない。実は、この芥屋GC男子ツアー唯一の高麗グリーン使用のコースだ。若いうちからやっている40代後半から上のゴルファーなら、よく高麗グリーンも知っているが、今の若いゴルファーはベントグリーンしか知らない人も多い。高麗は芝目がきつく、傾斜だけでは判断できない順目、逆目がある。だから芝目に負けない強くヒットできるパッティングが必要なのだ。

 藤田は名器、スコッティキャメロンのピン型を愛用している。パットの名手としても知られるが、今回は同社のマレット型を使っていた。「弾きがさらによくて、ボールの直進性がある」という代物だ。藤田にはピン型を使って、パットでさえショットのようにダウンブローで“パチン”と打っていくのが似合うが、今回は異質のパターを使った。そのパターが入りまくり、地元勝利につなげたのだった。「勝ちに不思議の勝ち」はあるのだろうけど、「勝ちに創意工夫もある」ことを藤田の今回の勝利は教えてくれた。【町野直人】