米国ゴルフ界の“キング”アーノルド・パーマー氏が25日、心臓疾患による合併症のため、米ペンシルベニア州ピッツバーグの病院で死去した。米国ゴルフ協会が発表した。87歳だった。1950年代から活躍し、米ツアー歴代5位の62勝、マスターズ4勝などメジャー通算7勝を記録。ジャック・ニクラウス(76=米国)ゲーリー・プレーヤー(80=南アフリカ)とともに「ビッグスリー」と呼ばれた。ビジネスでも成功し、世界各地でゴルフコースの設計にも携わったが、最近は体力の衰えが顕著だった。

 偉大な足跡を残したレジェンドが逝った。パーマー氏は心臓の血管を治療のため、21日から入院していたという。4月には74歳だった04年まで最多の50年連続出場を果たしたマスターズの名誉スターターを「永遠に続けていたいが限界が来た」と辞退していた。

 58年マスターズで初のメジャー制覇。そこから9年間は「帝王」ニクラウス「南アの黒ヒョウ」プレーヤーとともに、3人で8度のマスターズ優勝を分け合った。最終日に7打差を大逆転した60年全米オープンは伝説。66年の同大会では残り9ホールで7打のリードを守れず2位に終わった。負ける時も豪快だった。

 代名詞は「チャージ」。そのスタイルについて引退後「刻んだことはない。刻んでいれば、もっと勝てた」と振り返ったという逸話もある。富裕層の道楽という側面が強かったゴルフ界で、中流階級出身の男が見せる攻撃的なプレーはひときわ刺激的だった。成績で上回る選手は他にもいるが、米国でテレビのスポーツ中継が広まりつつあった時代。強さとかっこよさ、ファンへのサービス精神でカリスマ的な人気を博し「アーニーズ・アーミー」という追っかけまで生まれた。

 37度の最多出場記録を持つ全米プロだけは勝てず、ビッグスリー3人の中で唯一、グランドスラムを達成できなかった。一方で“キング”が4つそろえることにこだわり続けたタイトルとして価値が高まり、そのまま「メジャー」として定着。世界中のゴルファーが目指す頂となった。記録にも記憶にも残るスーパースターが今のゴルフ界に残したものは、とてつもなく大きい。

<パーマーさんアラカルト>

 ◆生まれ 1929年9月10日、米ペンシルベニア州ラトローブ生まれ。ウェイク・フォレスト大出身。178センチ、84キロ。

 ◆ゴルフ ゴルフクラブのグリーンキーパーから一般客への営業や指導を担うヘッドプロになった父の職場でゴルフに親しむ。54年に全米アマを制し、プロ転向。55年に初優勝すると、71年まで17年連続で勝ち続けた。74年に最初のメンバーの1人としてゴルフ殿堂入り。

 ◆IMG 60年に弁護士のマーク・マコーマック氏がパーマーのマネジメントを開始し創設。71年にペレと契約するなど、世界最大となったスポーツマネジメント会社の契約選手第1号。

 ◆ビジネス ゴルフ専門テレビ局「ゴルフ・チャンネル」を創設。日本を含め、世界中の200を超えるコース設計に携わった。

 ◆プレイボーイ 現役時代から女性ファンを魅了したが、プレイボーイとしても有名。