-東京五輪について

 宮里 今はちょっと考えられない。何か私にできることがあれば、積極的にやらせていただきたい。

-拠点は米国? 日本?

 宮里 全然決めていない。今回の決断にあたって、それを先に決めると自分を苦しめると思ったので、あえて、決めなかった。今季頑張って、その先にある思いを大切にしたい。

-あらためて周囲の反応は

 宮里 米国の選手も連絡をくれた。いろいろ考えた末(発表は)このタイミングになった。シーズン始めでもよかったけど、今年いっぱいと決めたし、自然体で力を出し切るためには、という思いが強かった。でも、日本で出る試合も数少ない。みなさんに思いを伝えて、1試合でも多くの試合でたくさんの人が見に来てくれればステキなことだとも思った。それで、このタイミングになった。

-中京テレビ・ブリヂストンでも好結果を残した。まだまだやれるのでは

 宮里 戦い続けるという意味では、今の自分には足りない。それを痛感している。プロとして結果を残し続けることが難しくなってしまった。今のモチベーションは期間限定。今年いっぱいと決めたことで、今のプレーができている。

-なぜ、4、5年前からモチベーションが上がりにくくなったのか

 宮里 2012年の後半ですが…。その年は米ツアーで2勝して、09年から4年連続で優勝していた。世界ランク1位にもなって、プロゴルファーとしてピークを迎えている感覚があった。それなのにメジャータイトルが取れない葛藤があった。「一番調子が良くて、自信がある時にメジャーに勝てないなら、どうすればいいのか」と考えてしまって、立ち止まってしまった。どこにモチベーションを置いて立ち直せばいいのか。自分を見失ってしまった。そこが難しかった。

-4、5年前、具体的にどのタイミングで

 宮里 2012年の全メジャーを終えた時。メンタルコーチにその次のカナダの試合で「何を目標にすればいいか、分からない」と相談したら「焦らなくていいんじゃないか? どの選手にも起こり得ることだ」と。そこで自分でどうやっていくかを探していたら、パットもイップスみたいになってしまった。

 でも、そこが逆に頑張れたきっかけだった。パターが得意だったので「どうしても乗り越えたい」と思えた。最終的に、その思いが今後の優勝につながってくれれば、と思う。