【エビアン(フランス)18日=益子浩一】宮里藍(32)が選手としての重圧から解放された。17日のエビアン選手権最終日は73で回り、通算1オーバーの32位。涙で現役生活に別れを告げた。世界ランク1位に立ちながら、引退を考え始めた13年秋からは、もがき続けた。復活優勝には届かなかったが後悔なく、14年のプロ生活に終止符を打った。宮里は一夜明けたこの日、航空機で現地を離れた。
名残惜しそうに、宮里はいつまでもコースに残った。かつての戦友を探しては惜別の涙を流した。優勝争いした上原を18番グリーンで出迎え「ありがとう」と何度も抱き合った。現役最後の18ホールを終え、3時間近くが過ぎても、愛する場所から離れない。後悔はないと言っても、ほんの少しの未練はあった。
「挑戦し続けたので悔いはないです。いい競技生活でした。世界一にもなれた。今は達成感よりも、解放感の方が大きいです」
引退が脳裏をかすめたのは13年秋だった。12年7月のアーカンソー選手権を最後に勝てなくなり、翌年9月のミヤギテレビ杯ダンロップ女子は最終日の14番まで2位に4打差をつけながら、2度の3パットでV逸。イップスになった。その頃、アマ時代から用具担当として支えてくれたブリヂストンスポーツの中原創一郎氏(42)に相談した。
世界は飛距離を生かしたパワーゴルフに変わり、小柄な宮里は対抗できなくなっていた。最後の望みとして手を打ったのは、当時は画期的なクラブチェンジ。緩やかな弾道でピンを攻める5番アイアンを捨て、高い弾道でより正確性が求められるユーティリティーを採用。精度があれば、ピンそばに止めることができる。中原氏は「メジャーで勝ちたいという思いは、11~13年頃にマックスでした。そのためにひと工夫しないといけなかった」。勝てなくなった宮里にとって、わらにもすがる思い。だが、全てをやり尽くしても、復活Vには届かなかった。
「試合はもうおなかいっぱいだけど、プロゴルファーを辞めるわけではない」
完全燃焼をしたからこそ後悔はない。世界に愛され、世界に惜しまれながら、静かにクラブを置いた。