「日本一曲がらない男」がゴルファー日本一の称号を手にした。単独首位から出た稲森佑貴(24=フリー)が5バーディー、2ボギーの68で回り、通算14アンダーの270でツアー初優勝を飾った。過去3年連続1位で今季もトップを走るフェアウエー(FW)キープ率はこの日も100%。父兼隆さん(67)と二人三脚で磨き上げた抜群のショット精度で逃げ切り、史上8人目となる日本オープンでの初Vを成し遂げた。

ウイニングパットを沈めた稲森は力強く拳を振り上げた。以前、同じ九州出身の時松に「勝ったら虎さんばりのガッツポーズをします」と、派手なアクションで知られる崔虎星(韓国)のように喜ぶことを宣言した。「あの勢いが欲しいなって。日本オープンで勝てると思わなかった。気持ちよかった」と笑った。

今季は重永、秋吉、出水田と九州出身プロが続々と初V。稲森は最初にレギュラーツアーに定着しただけに「うれしい半面、先を越されたと思った」。父に「超えるにはメジャーを勝つしかない」とハッパを掛けられた。ショット精度は揺るぎない。鍵はグリーン上だった。2月に宮崎で合宿中の谷口徹と鉢合わせた。「“ションベンパット”みたいなのを打つな」。ロングパットの距離感を合わせるのが苦手な部分を見抜かれていた。胸に刻んだ教えは、1つ落として迎えた9番で10メートル超の長いバーディーパットを流し込んで体現した。

誰よりも曲がらないショットは、自宅である鹿児島市内の練習場で培われた。「インパクトの位置を一定にして、同じタイミングで打つ反復練習です。“機械人間”のように」(兼隆さん)。数にして1日300~400球。本人が飛ばしたいと言っても許さなかった。「マン振りすれば、いつか手首を痛めるかも」。長く稼げる選手になってほしい親心でもあった。07年、兼隆さんは日本シニアオープンに出た。中学生の稲森がキャディーを務めていた。2打届かず予選落ち。「少しラフに入っただけのボールが、いくら探しても見つからなかった。FWだったら、なくなることは絶対にないでしょ?」。方針は確固たるものとなった。

賞金ランク2位に上がり、次週HSBCチャンピオンズ(中国)の切符を得た。挑戦の意思を問われ「当たり前です! 賞金王ももちろん目標ですが、松山さんみたいに海外で活躍したい」と即答。曲げない覚悟を示した。【亀山泰宏】

◆稲森佑貴(いなもり・ゆうき)1994年(平6)10月2日、鹿児島生まれ。鹿児島城西高2年時の11年にプロテストに挑戦し、一発合格した。同年の日本プロゴルフ新人選手権を制し、翌年の日本プロでツアーデビュー。14年に初シードを獲得。15~17年と3年連続でフェアウエーキープ率1位に輝き、今年も現在1位。自宅は鹿児島市内の練習場で、日本シニアオープン出場の経験がある父兼隆さんに幼少時から手ほどきを受けた。169センチ、68キロ。