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新弥のDAYS'

2006年02月13日更新

怜奈の五輪

<トリノの感動:スポーツが救った愛>

 フィギュアスケートのペア、米国から出場の井上怜奈(29)が脚光を浴びている。

 父親が97年に肺がんで死去した。
 父雅彦さんは、自分の病気を知った後で「娘に(自分が)苦しむ姿を見せたくない」と、別々の道を歩む決意をした。

 米国へ行って、もっと強くなれ。
 雅彦さんはそう言って、娘の背中を押した。怜奈はアルベールビル、リレハンメル五輪に、それぞれペア、シングルの日本代表として出場した。  一時は競技から遠ざかろうとしたが、父との決別の涙を振り切るためには、打ち込むものが必要だった。

 怜奈は98年、米国で肺がんの診断を受けた。父と同じ病気だった。
 それを克服して、競技を続けた。ボルドウィンという相手が見つかり、「ペアでリンクで戦おう」と励ましてくれた。

 怜奈は病気を克服し、スケートを続け、トリノ五輪に出場した。全米選手権でSP4位から逆転してつかんだ米国代表の座だった。

 米国では、スポーツ選手も社会の内にあり、パフォーマンスが先行して自滅するような自意識過剰のばかもいれば、犯罪者もいる。そして病人もいる。そういう概念が一般的だ。だから、病気と闘いながら競技を続けるのは、普通のことだ。日本では「病気持ちの選手」はある意味で、肩身が狭い部分がまだある。

 スポーツ選手が病気とも闘いながら、世界の第一線でスポーツする構図は、「人間の闘い」として大きな感銘を与える。自転車のアームストロング、陸上女子短距離のディバース。日刊スポーツのトリノ五輪特報紙面(13日付)にも詳しく報じられている。

 そうした米国の風土が、怜奈を後押ししたことは間違いない。父が「米国へ行け」と言ったのは、結果的にはそういうことを意味することになった。

 病気と闘いながらスポーツすることは、人の倍の苦労や努力を伴うと考えられがちだが、逆でもある。つまり、生きようとする力をより鮮明に与えてくれるのがスポーツという戦いの世界だ。事実、怜奈は小児せんぞくだったが、その克服に、医師がスケートを勧めた。

 がんとの闘いに、気持ちの上でまず「勝とうとする力」を与えてくれたのは、フィギュアでのつらく、長く、めったには報われない競技での戦いだった--と思う。

 ベストを尽くしたことを、父は喜んでいるだろう。そしてフィギュアも、喜んでいるだろう。

 スポーツが、オリンピックそのものが、選手に「おめでとう、ありがとう」と礼を述べ、祝福するような勝利は、そうざらにはない。けれど、怜奈はその祝福を受ける。スポーツによってより強く生きて、そして生きる喜び、スポーツの喜びを世界に示した。

 怜奈の活躍や感動のドラマは、オリンピックへのご褒美とまで、感じてしまう。

 トリノが、喜んでいる。

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プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、59歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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