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新弥のDAYS'
2006年4月01日更新「自伝」は売れない?
<トップ選手のコメントに望むこと>
その世界で「快挙」と呼ばれることを成し遂げた人たちの集まりがあった。
中で、「これだけのことをやり遂げたのだから、是非この記録を本に残そう」という声が上がり、「そうだそうだ、多くの人に勇気を与えるに違いない」と、賛同者が続々と現れた。
そこで「専門家」として、ある出版社の現役スタッフがマイクの前に立たされて「どうですか、やってくれますか」と聞かれたのだが、いまどきこういう偉い奴もいるものだと感心したのは、「お気持ちは分かりますが、古今東西、他人の“快挙”を読みたいという人はいないんです、努力しますがこの時勢、本屋で売るような本にはできません」と、実に明快に、正確に、はっきりと発言したことだった。
さすがである。プロは違う。
スポーツにも英雄伝説の類がある。
英雄伝説は、僕らの子どもの頃にはよく読まれたし、事実面白かった。それは時代のせいもあったろうが、1つにはフィクションの飾り付けが面白かったためであり、それだけの筆力を持った筆者がいたためであり、何よりも「おれが」ではなく「彼が」何をしたかが書かれていたからだ。
その後、スポーツでは「自伝」が一時多くなった。「おれが」という書き方だ。
プロレスなどの特殊な例を除いて、そうした自伝の類はまず売れなかった。その中に心身の「技術」部分が含まれた場合を除いて、いかに宣伝も行き届き、マスコミの話題になっても、実際には驚くほど少数の部数しか売れないことが多かった。「活字離れ時代」以前からそうだった。
世界のスーパースターの話なのに、写真集はそこそこ売れるのに、なぜ自伝は売れないのか。
人は、他人の自慢話など聞きたくないからだ。その「人」にあこがれるのではなく、その人が行うスポーツのシーンや、その人が行う人生のシーンを、自分主語で見詰めて自分が感動し、自分が楽しむのであって、「あれだけのことをやる人だ、いったいどんな育ち方をしたのだろう、どんな人生観を持っているんだろう」といった興味は、少なくとも「お金を出して本を買って研究しよう」というまでの強い動機になるレベルの強さを持っていないようだ。
このことは、時折書かせて頂いているように、「スポーツは真剣勝負の闘いの横顔を見せるべきものであって、口で感動させるものではない」ということと、共通点があるかもしれない。
最近はあまり聞かないが、「自分史」というジャンルがある。自分のことを書いてインターネットに載せる。反応もあるだろう。しかし自分が求めるするほどには、自分のことを人はすごいとは思わないことが多い。誰しもがものすごいドラマ(人生)の主役であり、懸命に生きる人ほど、そのドラマのすごさに気が付かない。自分はすごいドラマを体験した、すごいことをやったと思いこんでも、比較の物差しを取り替えれば、そんなことは誰にもあることだったりする。
当コラムでも「筆者の体験」の類は内容如何に関わらず、さらに不評である(笑い)。失敗だけの失敗談は喜ばれるが。
ちなみに著名な「自伝」文学は、筆力が異常に高いか(読んで面白い)、さまざまな意味でその工夫をこらしているようだ。調べればすぐ分かる。多くの場合、プロは「自分」という自分でない者をそこに提示しているのであって、生身の自分そのものを、だらだらと文字にするわけでないらしい(笑い)。
スポーツ選手、特にプロが心得るべきは、ファンは「真摯に勝とう、ベストを尽くそう」とする自分が「何をするか」に興味関心を抱いているのであって、それがあって初めて人間的な興味も出てくるのであって、ただそこに自分がいるからファンもいるのではないということだ。真剣な取り組み方、専心、サムライのような潔いスポーツマン精神といった「横顔」が大事なのだ。
余計なことだが、筆者のような年寄りはこう感じている。最近の選手達はテレビのマイクに対して「今日は調子がこうで、でもこうだから、前向きに明日も頑張る」といった「自己評価風まとめコメント」に終始しすぎるきらいがある。それはスタジオでキャスターが言うべきことで、選手たる者、潔く「評価」は他人に任せ、「何をしたのか、あそこでは何を考えてどうしようとして、どうなったのか。その結果何を感じたのか」といった具体的な話を、事実を、きちんとしたほうがよいのではないだろう。でないと、毎回「抽象的」になって、少しもその競技の特性が浮かび上がってこない。奥深さも見えてこない。皆が通ぶって、それで終わってしまう。
たとえばゴルフなら、「16番のボギーはこういうことだった」と話すのは聞く価値があるが、「気持ちがもう一つだったが明日は頑張る」では、一時的な人気の支えになるだけで、競技そのものと社会の関係は進化しない。むろん「聞く側」「伝える側」にも責任のあることで、「つい料理しやすい」料理をしてしまうのがマスコミの悪癖ではある。
従ってトップに立つような選手は、その競技やスポール界、つまりスポーツ文化の(否応なしの)担い手でもあることを、次第に自覚していくべきだろう。尻切れトンボでよいから、説明不足でも良いから、「中身についての話」を、もっと多く聞きたい。
あくまで年寄りの感情的な希望であって、理論的な主張ではないのだが。
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- プロフィル
- 後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、59歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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