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新弥のDAYS'
2006年11月30日更新いじめとスポーツ
<喧嘩(けんか)の仕方を覚えさせたい>
何かというと「外国では」と、海外の例を引き合いに出して、日本の弱さや欠点をことさらに浮き彫りにし、自分自身は「海外通」であるから「日本の範疇ではない」といった態度を取る人が、未だにいる。
戦後の時代にはこういう物の言い方がいかにも「識者」らしくて世間にも受けたが、今の世の中では世界中のことを皆が知っており、日本だけの問題だと思っていたら諸外国みんなそうだったことが、次々と明らかになっている。
「いじめ」とそこから発生する「自殺」の問題が大きな社会問題だが、これもその1つで、先進国と呼ばれる各国で、同じような問題が発生し、日本以上に悩み、そして事実上「解決できない」悩みを抱えている。
諸先生は今回、「海外では」どうだと言うつもりなのか、聞いてみたい(笑い)。
人ぞれぞれに、これに関しては感じるところがあり、意見があるはずだ。そして何より、それぞれが多かれ少なかれ、いじめられたり、いじめる側に回った暗い記憶が身体のどこかにあるのではないか。
来年、NHKでは「風林火山」の大河ドラマをやるらしいが、主人公の山本勘介は武田信玄の家臣だが一方の目が不自由で、足も不自由で、一説には指も損傷して一部をなくしていたと聞く。そのため「風采が」の理由だけで諸大名が家来にするのを嫌っていたところ、信玄だけが「内側の力」を見抜き、取り立て、そこから主従の枠を越えた友情が生まれたと伝えられている。
勘介は戦国の英雄としてドラマに登場するだろうが、実は手ひどい「いじめ」を受けた1人でもあった。見目形だけで人格や力量を判断され、毛嫌いされた時、どんなに悲しく、悔しかったことだろう。けれど彼はそれを乗り越え、誰をも恨まず、信玄に会うまで真っ直ぐに生きたのだと思う。だから信玄も彼を登用した。昔もいじめはあったが、いじめにも強かった。
今は還暦だが、筆者の子ども時分にもクラスで「いじめ」がはやり、いつもだれか特定の「いじめられ役」をみなで作った。なんとなく、だれかを犠牲者にした。その標的にされないためには、常に「多数派」の中に巻き込まれていることが必要で、1人でいると標的にされやすかった。これが「モデル実験校」として全国の先生が参観に来た、国立大学付属中学校の真実だった。どこでも、そうだったのだろう。
ただし、当時はだれもが分を心得ていた。やりすぎることはなかった。自殺に追い込むようなことはしなかった。過度になると「やめろよ」と言い出す正義感に富んだ生徒が必ず現れたし、いじめられ役の生徒と何気なく一緒に下校するような優しい生徒も現れた。
「弱い者を助けなければならない」という原則(それ自体思い上がった考え方であったかも知れないと反省するが)を徹底的に教え込まれたし、「人を差別してはならない」という事も、烈しい受験競争の中でも教え込まれた。けれど現在との決定的な相違は「限度を心得ていた」という点である。
それは「原っぱ」での子どもたちだけの社会を体験せず、常に「組織に護られ、大人に見守られて」育ち、スポーツしてきた世代には、もしかしたら非常に困難な事だと思う。昔は比喩的に言う「原っぱ」で喧嘩をたくさんし、ガキ大将の地位争いをやり、小さなけがをいくつもした。そうした子どもだけの世界の中で、喧嘩の仕方、その限度、仲直りのやり方を自然に学んだ。
今は、最初から大人が付いていて、大人が観ている、あるいは必ず仲介してくることを前提として遊び、スポーツし、いじめている。自分たちだけでは問題を解決する習慣がない。比喩的に言えば、大人の審判やスーパーバイザーがいないとゲームができないのである。
いつか誰か介入してくるだろうと潜在的に感じているが、誰も入ってこないと限度なしにいじめも進行してしまう。そういう例は、決して少なくないはずだ。
スポーツもそうで、サッカーも幼稚園から父兄に囲まれ、野球も最初から少年団などの組織でプレーする。しかし自分たちだけの「遊び」の世界でサッカーや野球をする危害がほとんど与えられていない。そこに、日本のサッカーの弱点、1対1での弱さが起因すると筆者も主張する1人だが、こうした「優れたスポーツ環境」は、本質的な楽しさ、面白さをしっかりと根付かせ、体験させる前に「整ったスポーツ競技」をメーンで体験させてしまうために、上手になるのは早いが、後で動機を見失ったりしがちでもある。
一般教育の環境も、本質的には同じではないだろうか。いじめ対策でさまざまな「大人の介入による解決」が提案されているが、本当の解決は、「もっと子ども達だけで遊ばせ、彼らだけで社会体験を積ませる」ことのように思えて仕方がない。
昔だって、原っぱの遊びが(一部の人が言うほどに)楽しかったわけではない。そもそも原っぱなどそれほどなかった。退屈なことが多かった。いじめられて、そこに行くのが嫌になったこともあった。どうやれば仲間に入れてもらえるかも、学んだ。また逆に、そうやってくだらない、たいしたことのない連中にこびを売るのが実に卑劣であるという真実も学んだ。同時に、それを卑劣だとさげすむ心の狭さにも、気が付いた。大人が介入しなければ、自然のままにしておけば、人はもっと自由に大きく育つのではないか。
組織の教育も大事だが、自然な成長を、その能力を生かす「原っぱに放置する」教育も、組織的教育と「同等のスペース」で必要だと思う。今の日本のスポーツ指導も同様だ。
もっと子ども達に子ども達のスペースを。
改めて感じる今日この頃である。
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- プロフィル
- 後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、60歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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